軍@ふたば保管庫 [戻る]
|ω・´)乗用車モードにもなるとです! |
|ω・;)でっかいタイヤで悪路にも超強そうで 4人も乗れるスペースもあるなんて もしかするとすぐれた車なのかもです |
|ω・)デザイン的にも野暮ったさが無くて 良い物の様な感じがするとでs |
(`・ω・´) |
>(`・ω・´) 一応やろうとは思ったんだね、すごい近い けどコレジャナイ感 |
>けどコレジャナイ感 鹵獲したジープの利便性や性能を元に陸軍がトヨタに試作依頼したものなんですが「出来るだけ戦略物資を使用しない事」や「ジープに似せない事」が指定されてたようです森本真佐男技師が出来るだけ合理的に作ろうと設計し始めると何故かジープに似てきたそうで・・・因みに荷台は木製、ライトは写真では2個ですが量産型では1個になる予定だったそうですコッチは5台作られた先行量産型です |
ジムニーベースでリメイクする人おらんかな |
今作っても売れそうなデザインw |
パジェロに近いのがあった気がしたけど、違うね |
>ジムニーベースでリメイクする人おらんかな 大昔に似た感じのがあった気がする カトマンズとか言うやつ |
|ω・)40年代のフォードトラックが にゃんだか似てていい感じです たぶん、現物はもう存在しない と思うので・・・ |
わさわさ |
変わり種の百式軌道トラック(百式鉄道牽引車)とか [朝霞駐屯地に実物展示] |
パラオの海中には未だに輸送船と共に沈んだトラックが; |
ニッサン80型自動貨車 すごくカワイイです・・・しかし戦場では不評 |
なー
なー |
>某従軍慰安婦の方がジープと間違えたのってこの中にあるのかな? クリスマスもジッパーも無いから |
なー
なー |
>クリスマスもファスナーも戦前からあるよw 荒らし目的でわざとやってるんだろうか とりあえずdel |
これ月産何両(予定)? 数作らないと輸送にの役には立たなさそうだけど・・・ |
書き込みをした人によって削除されました |
三菱PX33とかカッコイイね |
モータリゼーションが発達してた国々とそれが無かった国との戦争でしたからねぇ 第一段階作戦時も輸送車両不足は「上陸してから鹵獲した車輌を使えば良い」とか 結構行き当たりばったりな所もあったようで・・・ まあ第一段階作戦時は日本軍も物量作戦を行ってましたから大事には成らなかったようですが |
数の話になると(特に世界一の米国との比較になると)一気にしんみりしちゃうのはいつもの事なのにマゾなんですかね? たまには英国とかドイツと比較したらどうなんでしょうか? |
信頼性の点でもアメリカ製トラックが一番好まれたというのは良く聞く話ですね |
>信頼性の点でもアメリカ製トラックが一番好まれたというのは良く聞く話ですね そうですね 輸入の時はそうでも無かったようですが大正13年にフォードが、昭和2年にGMの 日本法人が出来てからそれまで国の補助で細々と(昭和6年で国産合計250台・・・) 生産されていた国産車がほぼ淘汰されてしまったようで昭和6年に国が主導した 「商工省標準型式自動車」が作られても治まらず、ようやく海外メーカー産車輌を ある程度閉め出すような法制度「自動車製造事業法」が出来て漸く国産車輌にも 道が開けた感じだったようです それでも民間市場ではフォードやシボレーが「壊れない」と人気だったようですが・・・ |
>一方の日本で豊田や日産といった文字通り産まれたばかりの自動車会社が >零戦や隼、重爆や戦車の転換生産を引き受けるなんてまず無理確かにGMのFM1やFM2は有名ですね日本だと松下(飛行機)のD3Y1-K明星くらいなんですかねぇまあ生産とは言いがたかったですけど・・・・ |
1935年のデータありがとうございます その後はどんな感じでしょうか? その後の日本の伸び率が見たいのです |
>1940年 3700000両 >1943年 139両 >1944年 610両 >この〜人的物的リソースほぼ全てが兵器生産に振り向けられた これまたすごいハナシですねぇ やるときゃやるよ! って米の徹底っぷりが |
日本も頑張ったんでしょうけど(´・ω・`) |
>GM/FORDには特例として一定数の生産継続は認められたようです 昭和11年の「自動車製造事業法」ですね ・750cc以上の自動車を3000台以上生産する場合は許可制 ・資本・役員・株主の過半数が日本人か日本法人 等々色々制約付きでフォードとGMに関しても台数制限 所謂フォード社は12360台以下、GM社は9470台以下を 課したようですねー |
>やるときゃやるよ! って米の徹底っぷりが ボディスタイルにも顕れてるね。画像は1942年型。 |
で、戦後生産を再開してもこの通り。 グリルを手直しした以外、まるで変ってない。ちなみに、43、44年型というのは無い。戦前は毎年モデルチェンジをしてたフォードが、48年型までこのボディスタイルを続けることになる。つまり戦中は新車開発をしてないってこと。 |
そういやロールス・ロイス マーリンエンジンを ライセンス生産したのも車屋のパッカードだったなぁ・・・ |
これはトヨタかな? |
これはダットサンか、オオタか… |
>もういっそアメちゃんの兵器生産は全部フォードにやらせてたら >よかったんじゃないですかね(棒GMさんが |
何か言いたそうですよ |
やっぱ仲間外れは |
アカンでしょ、と。 |
1456020617389.jpgはいすゞに見えるなぁ。 |
そんなアメリカでも出来ないメーカーは出来ないわけで。 |
> 1456026330229.jpg 車体前部とギアを一体化してしまうあたり割り切っているなあと その「部品」を一挙に交換する兵站が背景にあるわけで |
>1456020617389.jpgはいすゞに見えるなぁ。 いすゞってこうでしょ? |
グリルの絞り具合がトヨタだと思ったんだけどなあ… |
まさかシボレー1939年型ってことはないと思うんだ。 エンジンがコピーだから互換性が有り、ボディーも各部の寸法比がかなり近い印象だけど |
やっぱトヨタはフェンダーの曲面が痩せている。 他社のモデル群に比べ、グラマラスな板金プレスを避けているかの様。 |
この時代の板金加工は現在のようにプレス一発でなく職人が一枚一枚叩き出してたのかなあ? 叩くと言っても手ではなく専用のプラニシングハンマーという工作機械だけどだとすると工数の必要な複雑な3次元曲面は避けようとしたはず |
こちらはイングリッシュホイールという工作機械 バイクのフェンダー加工なんかに向いてます |
|ω・;)キューバの修理工の人が 1枚のメタルシートからどんなボディパーツでも 叩きだしてたのをテレビで見たとです・・・ なにがなくともなんでもできるんだなぁと思った とでs・・・ |
ボディの板金プレスはどのメーカーにも鬼門だったようで… 三菱大江工場に大型プレス機が有って、ここを頼りの板金発注が各社の開発話に重複して出てきたリ或いは、モデルチェンジで車格の増す試験車は既存車を十文字に切り帯金で継いで確保して公道を走らせたり(ヲイ)、設備能力が不足で、プレスの後さらに手叩きで成形したりと数々の戦後逸話でも、手叩きに秀でた熟練工が相当居て活躍してたことが察せられるね。 |
「やっぱ舶来モンはええのう」 画像はビュイックのフェートン |
>イングリッシュホイールという工作機械 絞りに似てますね |
「ビンボは辛いのう」 フォードベースの代燃トラック |
>「やっぱ舶来モンはええのう」 戦前の陸軍大臣サンの公用車は陸軍自動車学校に研究名目で購入させた高級外国車が使用されるのが常だったそうなんですが1939年に陸軍自動車学校長になった武内俊二郎少将はコレを遺憾として「陸軍大臣は国産車に乗るべき」…だと抗議したそうなんですな |
コレに対して陸軍省から返答が有りまして 「(陸軍)大臣は陛下のお供をしますから、その時万一事故が起きては畏れ多いから、これはやっぱり国産車じゃなくて外国車デスヨ」…との事だったそうでまあ当時の国産車の信頼性を物語るエピソードの一つではあるんですけれど…或はもしかしたら単に陸軍省の担当者が高級外車マニアだっただけじゃな( |
Ron Covellという笑顔が素敵で優しそうなオッサンがプラニシングハンマーのイロイロを教えます https://www.youtube.com/watch?v=sK0oGJEf1Hk |
手前の乗用車はフォード1936年型 トラック車列の先頭もフォードかな。 |
見て見て、僕のフォードは流線形だお |
技能検定って国家検定に自動車板金があって、企業内学校で技能者育成をやってる これに自動車塗装の職種が加われば、デモカーの出来上がり とてもじゃないが、量産できるような仕事じゃない https://www.youtube.com/watch?v=Fu-q46U5Jtk |
>「(陸軍)大臣は陛下のお供をしますから、その時万一事故が起きては 畏れ多いから、これはやっぱり国産車じゃなくて外国車デスヨ」一応、高級将官用乗用車の開発は陸軍の指示の元、各社行ってたみたいですね特に出色なのは「トヨタ大型B乗用車」でなんと冷暖房完備(!)でラジオ付き燃費は1941年式キャデラックなどの鹵獲外国製高級車と比べて良かったとの事さすが世界のトヨタ |
>燃費は1941年式キャデラックなどの鹵獲外国製高級車と比べて良かったとの事 それはね、高級車に相応しい大排気量エンジンがトヨタに無かったから。燃費を気にする高級車なんて、当時は誰も求めてないし。>さすが世界のトヨタ…悪い冗談だ。製造事業法以前から自動車産業に取り組んでいた先達の苦闘を冒涜している。 |
>とてもじゃないが、量産できるような仕事じゃない うん、上で紹介したアメリカの方の動画だと手で叩いてるのは最初だけでそのあとはプラニシングハンマーっていう空気圧を使ったハンマーを使ってる 1分で250回から1万回叩けるのまであるようで、一部は1940年代からある機械をそのまま使ってる 卿の紹介された日本のビデオの方はちまちま手で叩いてて如何にも効率悪い おそらく当時の日米工業力と同じ差と思われ(笑) |
あごめん2500から1万 |
機械式に回転力をハンマーの上下運動にする装置をスプリングハンマーと言うそうです 日本では刃物の鍛造にベルトハンマーが古くから使われていました |
1156080・・・・・ぷっ |
じきに曲面成形、つーか鉄そのものがガッツリ疎外されちゃったで御座る。 |
ダットサンと米兵 |
>1456240356832.jpg 米兵がデカイのか、ダットサンが小さいのか、あるいはこの年代の車はコレくらいが普通なのか… |
>この時代の板金加工は現在のようにプレス一発でなく職人が一枚一枚叩き出してたのかなあ? 昔見た戦前の日産のトラック工場(アメリカのグラハム社から設備一式を購入したやつ)の映像だと、セミキャブオーバー式トラックのフェンダーをプレスで整形してましたから、一概に職人技だけでもなかったのではないかと思いますよ。 この日産の工場、立ち乗り式のフォークリフトが走り回っていたり、高速オーバルテストコースがあって、そこをトラックが走ってる画像ありと、個人的に持っていた戦前のイメージを覆してくれました。 |
>>1156352 繊細な日本車に大男7人箱乗りして遠出するバカに、 直せそうにはとても思えない。 しかも調度良く後ろは海。 この後のダットサン君が心配だ。 |
>直せそうにはとても思えない。 ボンネットを覗き込んでるヤツはかなりの車オタクだと思う こいつがあらゆる障害を克服する |
>ダットサンと米兵 なんとなく車が米兵に虐められてるようにしか見えない・・・ |
>米兵がデカイのか、ダットサンが小さいのか M4やP-47のでかさから察するにですな、資源も燃料も技術もすべてそろっているとしか。 |
関係ないかもだが、だいぶ前に日本人男性の平均身長はこの時代の米兵の平均身長を超えてたはず |
おかげで「ダットサン」は当時のモボ&モガさんのハートをがっちりキャッチ、 当初の月産150台は1937/38年には月産800台に伸び小型自動車全体の生産数も、1932年から36年にかけて、普通乗用車の生産数が696台→2千516台程度の伸びだった所小型自動車では114台→6千600台に急上昇しまして当時の円価下落、輸出増進の世相に乗って東南アジアやオーストラリア市場まで席巻したんだとか |
競合メーカーが結構有ったというコトと、 有望な事業だったというコトとは一致しないのが切ないところ。ダット号を造った「快進社」と前後して、「実用自動車製造」という会社も設立されてる。関西財界がノリノリで出資した新鋭工場なのに、これがちーとも軌道に乗らない。フォード、シボレーが国内で組み立て始めちゃったのがメチャ痛い。その部品下請けなんぞで糊口をしのぎながら、結局両社は合併せざるを得なかった。 |
ダットは石川島、瓦斯電と並ぶ軍用保護トラックを作る御三家メーカーに食い込んだけど、 この事業も伸びてくれなくて生産は数台とも十数台とも…泣かせるねえ。 |
軍用軽四起のコンペには聞いたことも無いメーカーも混じってる。 採用されたのは御存知、くろがね。落選したメーカーでも、小型枠にリメイクして多少の生産に進めたケースがあるようだ。 |
くろがね四起は形もだが、「くろがね」が平仮名なとこも たまらなくかわいい 鐵や黒鉄の方が勇ましくて軍用っぽいけど メーカーが平仮名だしあだ名だから仕方ないか |
くろがねって、軍用なのにロードスターのボディスタイル。 よく知らないんだけど、他国で同様の例って有るだろうか? |
小っさいダットサンが代燃車になっている姿は 可愛いを通り越してもー、いじらしい。萌えてしまう。 |
代燃車の普及も日華事変のあたりかな? 戦時下のバス事業は相当大変だったらしー。当局の指導で経営統合/合理化は基本。で、ドライバーが応召で引き抜かれるのは勿論、車輌も次々徴発されるんで営業路線が維持できなくなってどんどん廃線化しちゃうんだと。 |
>くろがねって、軍用なのにロードスターのボディスタイル。 ロードスターのボディスタイルってのはいまの基準からしたら 間違いではないけど、当時としては単に遅れてる幌馬車型なんだよ 生産力とコストなどの産物 割り切れてないジープみたいな物 |
戦時下のバスと言えばもー、100%代燃車。 徴発資源が枯渇しきってるのに、ドカ貧軍国はこれを更に絞るんですな。 |
公共性の高いバス事業でこーなんだから、 タクシー事業者は商売道具取り上げられて皆サンさぞやお困りだったんじゃないかと。 |
やっぱり石油禁輸って死ねって言ってるようなものだから真珠湾くらい攻撃されても仕方なかったんだよ アメリカは反省すべき |
でも実際、アメリカの立場からしたら何か急速に アジアの小国が爆発的に力を付けて来たから 恐くなってきただけなんじゃなかったのかなぁ?と、 今の中国みたいな感じに軍事力をガンガン増強させながら 周りの弱小国を食らう勢いを感じられたらやっぱり警戒する ましてや当時の曖昧で弱い国際ルールなんかだったら 石油の輸出禁止なんか簡単に決定されてても当然だったのかな?と |
スレの流れが殺伐としてきた時は、オニャノコ貼ると良いってばっちゃが言ってた。 |
当時は「ガソリンガール」という職業婦人が存在してたんだそーで。 スタンド間の販売競争は熾烈を極め、給油の間にお茶とお煎餅でもてなしたり、イパーイ入れてくれたお客サンには煙草を1箱贈呈したりとあの手この手。せっかく来店しても、ガソリンガールが居ないと給油しないで帰っちゃうお客も珍しくなかったとか… |
これが大戦末期ともなると木炭の配給まで不自由となり… |
>>スレの流れが殺伐としてきた時は、オニャノコ貼ると良いってばっちゃが言ってた。 ペトリの機動展開みたいだな。 |
機関に万物の霊長を据える、特別剛毅な輸送機器の名は「国策車」。 戦後も十年くらいは駅で客待ちする姿が普通に見られたそーで。 |
透視図 |
フォードとGMの日本進出で周辺の部品産業は育たなかったのだろうか |