廉価版BD届いたから - 映画@ふたば保管庫

映画@ふたば保管庫 [戻る]



32639 B


廉価版BD届いたから久々に見たけど、この映画のやっちまった感は異常
あのラスト改変が良かったという人なんかいたのだろうか

原作者を始めとして、多くの映画ファンから支持されております
なんて言うと、作者のはリップサービスだろとか反論されそうですが

霧の中に消えていくENDと霧が晴れるENDだからまぁね

確かに映画のラストやっちまったーって感じはすごいが
原作だと確実にその後全滅だろうから
原作に比べれば映画はハッピーエンドだよな

去年だったか木曜の深夜に流れたんだがもちろんカットしたやつ。(映画はRー15)
面白かったけどなん書こう胸に使えるというかそういう終わり方だったなやはり

>映画はRー15

どのあたりマズいのかな
人体切断とかダメってこと?

最初の子供を助けに行った奥さんを見捨てた時点でやっちまってたんだよ

怪物がウヨウヨいる場所で、守るべき子供がいる身で「じゃ奥さん、送っていくッス」なんていう奴は居ない
引き止めるのも酷

単なる結果論

これ一緒に観た妹が終わった後
「あの主人公はどのみちもう長生きできへんと思う」
とぽつりと言った
泣きそうになった

Blu-rayにはモノクロバージョンが収録されていないらしいが、
テレビの色調を調整すればいいんじゃないの?

そういう問題じゃないの?

霧が晴れて軍隊来ただけで、ゲートから出た怪物が全て倒されたワケじゃないんだけど・・

例えば、この後、話がクローバーフィールドやパシフィックリムのような事へ繋がる
ビギニングに過ぎないかもしれないというのに・・

それを冒頭のガンスリンガーの絵が予兆させてるかと

>「あの主人公はどのみちもう長生きできへんと思う」
節子の声で脳内再生されたわ
いい感性を持った妹さんだ

10156 B
このワンダと巨像みたいな奴も軍隊に倒されたのかな。
毒虫程度にヒーコラ苦しめられながら命からがら脱出してこれに出くわそうもんなら、そりゃ絶望もするよなぁ。

>原作だと確実にその後全滅だろうから
原作エンドは終末観ただよう中の微かな希望って感じが霧の中ってシチュエーションと相まって情感あって好き

>モノクロバージョン
そんなのがあるの?知らなかった

スーパーの中で絶望的な状況下でカルトの教祖と化した女がキチガイじみてたな

>スーパーの中で絶望的な状況下でカルトの教祖と化した女がキチガイじみてたな

しかし、その予言どおり子供を生贄に奉げると途端に霧は晴れた

>あのラスト改変が良かったという人なんかいたのだろうか
いるけど何か?
自分の命より子供が大切な人には絶望感すごい
世界が滅亡に進んでいる→やがて死が訪れるだろうが子供と一緒
子供のために子供を殺した→霧が晴れて世界は救われたが自分は一人

最初に一人で出て行ったおばさんが
ウォーキングデッドのキャロルと聞いて
あぁそれなら生き延びれるわぁと納得

>このワンダと巨像みたいな奴も軍隊に倒されたのかな。
コバンザメみたいに付きまとってる細かい連中を火炎放射で一掃しながら
足に爆弾仕掛けたりしたのかな

9714 B
なんだかんだで「人間が一番怖い」と認識した映画。
クモきらい!!

最後に残ったのが、ジジババ、若い男女、子供と、基本的な家族の単位なんだよな

ラストが評価されてるわけで
スレあきは少数派って自覚する良い機会になったな

スレあきとか言ってるのも少数派

テーマというか構造が単純化されて
霧の不確かさとはちょっと離れたとは思ったよ個人的に

たとえ絶望しかない状況でも可能性が0.01%でもあると
思いたいし自分の子供を射殺できんわ…

あとクロマティがちゃっかり助かってたのを知った時の絶望感

あのイヤーな感じのラストは確かに原作よりさらにキングっぽいと思う

映画のラストは小説版の孕む可能性の一つではあったと思う
映画では小説の孕む他の可能性をバッサリ消して、
さらに自分の為に命を捨てろと平気で他人に要求し
最後もこれ見よがしにトラックから主人公を見下ろすクソババアなんか描いていて吐き気がしたけど
無音楽のエンドロールに被さる延々流れるキャタピラやヘリのローター音を聞いていて

ま、そういう事かと・・・

キング自身も観客の求めるホラー映画のエンディングみたいな発言をしてるし衝撃のエンディングという話題になると最近では必ずといっていいほどあげられるし映画として収めるには良い改変ではあったんじゃないかな
微かにラジオの電波を拾う原作エンドも好きだしキング作品のテーマの一つの希望とかが削がれてるのは残念だけどダラボンは原作からさらに希望特化したショーシャンクみたいな映画も撮ってるから全体的には帳尻が合っているとも言えなくもない

やっぱり911の影響が大きい映画じゃないかな

原作のラストはスゴく良いと思うのよ。トリフィドの日を彷彿とさせる情趣がさ。
映画のラストにするなら、別に「霧」みたいな道具立てじゃなくても良いと思う。
地獄があふれ出て世界を飲み込むという話なのに、軍隊が解決するんじゃ拍子抜けだし。

途中までオモロいが、
タコの足が出た時点でオレはアウト。

ああいうの見せないで、見えない敵と戦い、子を殺していたら
立ち直れないトラウマ映画だったな

>No.37904
キングは恐怖を可視化したがるからな
そのまま映画化したらザ・B級映画になるのは必至
itとかもそう

ドリームキャッチャーもダメな人かな?

やっぱ最後殺してから霧晴れてあんな終わり納得できん

>なんて言うと、作者のはリップサービスだろとか反論されそうですが
スティーブン・キングは根っからの大衆小説家だからけっこうマジにあのラスト褒めてる可能性がある

80年代にジョン・カーペンターが映画化するって
計画があったそうだが実現してたらどんなのになっ
てたのかな

>スティーブン・キングは根っからの大衆小説家だから

キングはむしろ根っからの商売人でないかな
映画の内容は知らんけど、とにかく見てや〜、ついでにノベルも買うてや〜というスタンスだったり

123586 B
>80年代にジョン・カーペンターが映画化
当時レンタルショップでミスト?かと思ったザ・フォッグ

>キングはむしろ根っからの商売人でないかな
だとしたらダークタワー(だったか?)の終盤が大騒ぎになったりしないと思う

40578 B
っぽい


息子が死ぬ前、眼を覚まして自分を殺そうとしている父親を見ちゃうのはどういう意味かねえ

52055 B
意外と調理すると美味しく頂けたりするんだろうか


>やっぱ最後殺してから霧晴れてあんな終わり納得できん
結婚していない子供もいないって設定の人なら納得する

>やっぱ最後殺してから霧晴れてあんな終わり納得できん

悲観して自ら取り返しの付かない選択をした結末は観てて納得できん という事?
それと狂気で人心を惑わせた連中が軍隊に助けられ、そういう連中が生き延びちゃってる件とか?

>悲観して自ら取り返しの付かない選択をした

万事休して「怪物に殺させない」という息子との大切な約束を果たした訳だしね

>人心を惑わせた連中が軍隊に助けられ

ラストのトラックに乗ってたってこと?
人心を惑わしたおばさんは射殺されているし
結局子供を生贄にすれば(殺せば)霧は晴れるというおばさんの予言は実現しちゃったけどね

>キングはむしろ根っからの商売人でないかな
>映画の内容は知らんけど、とにかく見てや〜、ついでにノベルも買うてや〜というスタンスだったり
でもシャイニングは悪い評価しか書いてないが

フランダースの犬でラストでネロが死のうかという時に助けが来て誤解が解けて絵も評価されててハッピーエンドに雪崩れ込むバージョンの映画があるんだが
スレ主はそういうの作っちゃう奴と同じタイプ?

>でもシャイニングは悪い評価しか書いてないが
そりゃ、まあ
原作小説で著者が最も大事にしてたであろう
超能力(シャイニング)要素をまるで無力無意味な代物に
改変されちゃったからねえ

で、自身が監督した原作準拠版の評価がどうだったかと言えば…

>自身が監督した原作準拠版

よくある間違い

TVミニシリーズ版「シャイニング」の亡霊のパワーが上がると実体化するという設定は続編の「ドクター・スリープ」にも継承されていたがキューブリックへの嫌がらせか

悪あがきでは

>やっぱ最後殺してから霧晴れてあんな終わり納得できん

もともと観客を納得させようとはしていないと思う。
そういう意味で、その意見は製作者の思うつぼにまんまとはまっているのでは。

納得できないからこその衝撃のラストであり
だから嫌いだって人がいるのは当然なんだが
だから良かったという人がいるのもまた当然なのだ

きっちり不条理で理不尽な現実の残酷さに落ち着いたのは
そういう映画として非常に誠実な作りだと思ったけどな
安易に残酷な(インパクトだけの)オチに頼るのと同じくらい、
安易なハッピーエンドもくだらないと思うし

というか、キングだってそんな書くもの書くもの全部
面白いわけでも良く出来てるわけでもないしなあ
原作者のコメントとかその真意とか原作との違いよりも、
一本の映画としてよく出来てる方が大事だと思う

>一本の映画としてよく出来てる方が大事だと思う

なんの説明も無く、あの子供を捜しにいったおばさんだけが無事だったり
怪物が狂信おばさんは襲わなかったり謎な設定もあり

でもあのENDじゃないと正直ここまで注目、話題に上がることはなかったよね

>なんの説明も無く
そんな「物語のあや」の部分にまで説明を求めるん?

「物語のあや」てなんなん?

「言葉の綾」の親戚だとすると

"微妙な意味あいを表したり、事のついでに付け加えたりする、巧みな言葉の言い回し"

みたいな意味で、観客がおばさんが“生き残っている”事にどういう意味を見出すかによって大きく左右されるかな
ちなみにオレはあのラストを評価しているけど、それはあのおばさんが“生き残っている”不自然さからあのラストの意味を考えたからで
ただなんとなく生き残って主人公を見下ろしてるだけなら何の意味も感じない

>でもあのENDじゃないと正直ここまで注目、話題に上がることはなかったよね

たらればではあるけど
単なるヒドイオチで話題になっても物語的には不幸なんじゃないの
ここでも内容についてはほとんど語られず衝撃のラストしか話題になってない気がするけど

言い換えると

>最後殺してから霧晴れてあんな終わり納得できん

を通過してやっと認められた

>単なるヒドイオチで話題になっても物語的には不幸なんじゃないの

そう思う。まあビジネスとしてアリだとも思うけど。
自分はあのオチで、テーマがやたら矮小になっちゃった気がする。
あの時ああしていたらとか、運命の皮肉だとか、絶望時に下す選択だとか、そんな小っちゃいオハナシになっちゃったと思う。そんなの別に「霧」でなくてもやれるじゃん。

>テーマがやたら矮小になっちゃった気がする。
>あの時ああしていたらとか、運命の皮肉だとか、絶望時に下す選択だとか、そんな小っちゃいオハナシに

仰るとおり
原作の“ヒッチコック的結末”たぶん『鳥』の原因も結末も曖昧なまま、主人公達がかすかな"HOPE"希望を胸に(『鳥』ではラブバード)不確かな未来に漕ぎ出してゆくという壮大なビジョンがせいぜい“ご近所トラブル、助けてくれなかったあんたが悪い”程度の人間ドラマに成り下がっている
日テレでやってる「スッキリ!!」の悪夢バージョンといったところか

シャトナー主演の「巨大クモ軍団の襲撃」みたいに
「なんか大変なことになったけどこれからどうすんだろう」でそのまま終わっちゃうのもアメリカ映画の一つのスタイルだと思ってた頃があった

>「なんか大変なことになったけどこれからどうすんだろう」でそのまま終わっちゃうのも
70年代までの主流やね
観客も飽き飽きしてたのかスターウォーズで一気に廃れた

でも、息子と父親が交わした「とても大切な約束」「息子を怪物に殺させない」や
原作では生死不明の母親が主人公の父親の植た木が破った窓から侵入した怪物に殺されている事などを考え合わせると
映画の怪物は単に異次元から侵入した怪物というだけではなくどうやら人間、映画の場合はアメリカ人自身ことでもあるらしく思える

ラストで不自然なくらい唐突に晴れた霧の中から現れるタンクや装甲車、トラック等の軍用車はいわば怪物の正体でもある訳で
そのトラックに乗っているあのおばさんたち避難民は戦争という怪物の腹の中に飲み込まれている
つまりあのおばさんも霧の中で怪物の犠牲になっていたのだという事なのだと思った

息子と仲間を撃ち殺した父親(と観客)が霧の中で怪物の立てる音として聞いていた音が軍用車両の走行音やヘリのローター音とすり替わってエンド・タイトルのバックで延々と流れるのは911とその後に起こった数々の戦争を意識しているんじゃないかと思った

77848 B
同じように後味の悪い映画といわれるこっちは評価が高いんだがなぁ。


>日テレでやってる「スッキリ!!」の悪夢バージョンといったところか

だよなあ・・・原作よりはるかにショボイ話になっちゃってるよね
上の方で「地獄」と書いているが、でも主人公たちは安全地帯であるスーパーから、その地獄へと逃げ出すんだよね
それはスーパーが、狂気と付和雷同によってさらなる地獄になってるからで、地獄とは人の心の中にあることが描かれてる
逆に、愛する者、信じられる者と一緒なら、たとえ地獄だって希望を失わずに進めるだろ?ってのが原作なのに・・・映画はなあ・・・

感想はというとミスティックリバーと同じだな
お前もうちょっと待てや、と

>「なんか大変なことになったけどこれからどうすんだろう」でそのまま終わっちゃう

平成ガメラの3とか
この映画の場合は「残念でした!またどうぞ」というオチだけど

自分も何かミニマムな話でまとまったように感じてたんで
ここで言われてる部分結構同意かな
絶望させる要素もタイミングよく用意されてくるというか

そこに何か「教訓」を見ようとすればするほど罠に嵌る
そんな感じの…

主人公自身「よきアメリカ人像・よき父親像」の幻想に縛られているし

レス読んでると、原作読んだ上で不満って人は「原作の味を損なってる」という事で、
映画だけ見て不満って人は「胸糞わるいわ!」って事?

個人的には(原作未読)、後者は単に好みの問題だと思うけど、
前者はわかる気がする
原作読んでみようかな

よく言われるけど、この映画ってオチ以外は結構原作に忠実だよね。
だからダラボンとしては、何か1つでもデカい改変を入れないと自分の作品にならないと思ったんじゃなかろうか。その結果やらかしちまったと。

でも原作を読むとこのオトンてシャイニングのオトンと同根やで
(ご近所トラブルでカッとしてお隣さんの腕を折るような)

原作の行き着く先としてはある意味正当性はある

捨て台詞吐かれた方は気分悪いかもしれんが
あの状況で助けを求めるのは別におかしくないし
そのあと内に留まって主人公達の足引っ張るわけでもなく
地獄へ身一つで踏み出していったんだから非難される謂れもないよね、おばさん
トラックから見下ろす時も多分何の感情も無くだったんじゃないかね

話題はちょっとズレるが、この映画のオリー(銃を撃つ副店長)みたいに、見た目はヘボいけど実は誠実で勇敢で頼りになるキャラって良いよね

>オリー
他所で見た書き込みで、
宗教ババア殺す時に2発撃ったのには共感できない
1発目は子供を助けるためだが2発目は憎悪
そのせいでただの殺人者になってしまった
みたいな意見があって成程と思ったよ

>地獄へ身一つで踏み出していったんだから非難される謂れもないよね、おばさん
>トラックから見下ろす時も多分何の感情も無くだったんじゃないかね

うん。必死でがんばったんだろうしあれでクソばばあ呼ばわりは可哀想だよな。
泣き叫ぶ主人公に向かって中指でも立てたなら別だが。

>捨て台詞吐かれた方は気分悪いかもしれんが

助力を求めるのは当然としても主人公だって守るべき子供がいるし高確率で殺される事がわかっている外へ出るのを断るのも当然
「地獄に落ちろ」は無用だな

>トラックから見下ろす時も多分何の感情も無くだったんじゃないかね

おばさんが通りかかったのではそう意図された演出なのだからおばさんが何を感じていようがいまいが「あらいい気味ね」というメッセージが加わるのはいたしかたがない

>必死でがんばった

必死でがんばったのは主人公も同じ
この映画は必死で頑張ることを評価して居ない

>主人公自身「よきアメリカ人像・よき父親像」の幻想に縛られているし

祈ってる宗教おばさんを上から目線で慰めようとして反発される女性教師とかそういう風ではあるね

ラスト改変ってのは今知ったけど、映画館で観た時は
うまくすれば一発で二人いけないか…と思った

>宗教ババア殺す時に2発撃ったのには共感できない
これは単純に相手の行動を止める射撃の基本やね
警察(SWAT)とかでもそうするよう教える

>これは単純に相手の行動を止める射撃の基本やね

そう。ダブルタップといって対人制圧射撃の基本。2発ずつパパンと撃ち込んで動けなくする
映画では間を置いて撃ってたかもしれないけど、それはまあ演出だから・・・

このオトンは「台風の時妙にハリきる」みたくハリキリ過ぎた
こういう映画を好んで観る我々と同根で「非日常」に気が有りすぎる

トラックおばはんは逆に「非日常?なにそれ(笑)」やしな
もしセオリーみたいのが有るとすればその辺りかもね

>この映画は必死で頑張ることを評価して居ない
それは悪事等に対しても同じはず
そこに拘るのは観客の感情的な面であり
それにしてもおばさんへの評価が不当に低いのは
主人公達に降りかかった悲劇の原因を彼女に求めているように感じてしまう
それこそ「無用な暴言」と性質としては大して変わらないのでは

>ダブルタップ
知識はあったとして、あくまでで銃の名手なだけのオリーが当然のようにそれを実行するだろうか
仮にそうでも、あの「間」にはやはり何らかの意味があるとするのが妥当と思う

>おばさんが通りかかったのではそう意図された演出なのだからおばさんが何を感じていようがいまいが「あらいい気味ね」というメッセージが加わるのはいたしかたがない
皆が皆おまえみたいに僻みっぽい性格してるわけじゃないから

>>おばさんが通りかかったのではそう意図された演出なのだからおばさんが何を感じていようがいまいが「あらいい気味ね」というメッセージが加わるのはいたしかたがない
>皆が皆おまえみたいに僻みっぽい性格してるわけじゃないから
自分自身はそちらを選ばなかったが
そういう解釈の余地も十分にあるシーンだと思うよ
おかしくはないね

>自分自身はそちらを選ばなかったが
>そういう解釈の余地も十分にあるシーンだと思うよ
>おかしくはないね

そうかね。あの時点でおばさんは主人公に起きた悲劇を知る由もなく、ただ単にようやく助けられて
半ば放心状態で主人公を見下ろしているだけだと思ったけど。
それなのにあのおばさんにたいして悪意を持つのはあのおばさんを「見殺し」にした主人公=観客の罪悪感の裏返しから来る逆恨みなのではないかとこのスレを見て思った。

>そうかね。あの時点でおばさんは主人公に起きた悲劇を知る由もなく、ただ単にようやく助けられて
>半ば放心状態で主人公を見下ろしているだけだと思ったけど。
>それなのにあのおばさんにたいして悪意を持つのはあのおばさんを「見殺し」にした主人公=観客の罪悪感の裏返しから来る逆恨みなのではないかとこのスレを見て思った。
うん
自分もそう思ったんでそういう風に書き込みはしたんだけど
おばさんが主人公の様子から何かを察し
暗い愉悦に浸る可能性を完全に否定はできないかなと思い直したんだ
これがキリスト教的?善悪論に基づいた話ならちょっと有りえないかもしれないけど
そういったものを超越してるってんならどちらでも通用するだろうし
良い人がいつも良い人でいられるとは限らない

ちゃんとした議論ができるいい映画だよ
アンチと信者とかでなくてね

おばさんにカメラが付いていったら孤軍奮闘して子供を助け出す一大アクション映画になっていただろうな。そして主人公以下スーパーに立てこもった連中は薄情で冷酷な連中として全滅や悲惨な末路をたどっても当然、としてむしろ観客が溜飲を下げる対象となっていただろう。この映画は普通の映画だにおけるやられ役憎まれ役がどうやって無残に死んでいくかを追ったんだとすれば、あの結末も納得いくものかも。

こんな行動をしたからこんな目にあったとか
誰かの価値観によって裁かれるような感じがあってそこは苦手な部分

こんだけスレ伸びるとこみると、毀誉褒貶はあるにしても、みんなによく見られてる、愛されてる映画なのかもしれないな

>原作を読むとこのオトンてシャイニングのオトンと同根やで
(ご近所トラブルでカッとしてお隣さんの腕を折るような)

「シャイニング」のジャックはアルコール中毒を抱えていたけど、
若者を死なせたおっさんを殴るこの映画の主人公はいわば正義を笠に着ている訳で
弱さゆえに追い詰められていくジャックより同情され難いかもね

>原作の行き着く先としてはある意味正当性はある

原作ではなくキューブリックの映画版でだけど
ジャックがホテルの悪霊の仲間入りをしたことが写真とエンドロールのバックに流れるパーティーの雑踏の音であらわされているように
この映画でもエンドロールのバックにキャタピラやヘリのローター音が流れ続ける

子供を犠牲にして救いを得ようとする話は「シャイニング」もそうだしキングがTV用に書き下ろした「悪魔の嵐」もそうだし
キング印の映画ではあるね

>おばさんが主人公の様子から何かを察し
>暗い愉悦に浸る可能性を完全に否定はできない

まぁ車の中血みどろだろうしね

「呪いの言葉」を吐いた人間がその言葉を投げつけた相手が不幸のどん底に陥った場面に通りかかれば
おばさん自身がどう思っているのであれ演出的に懲罰の意味合いが出るのは当然だと思うし
そういう演出はやり過ぎなんじゃないかと思った

そこからあえてそういう演出にした意味を考えたという話だった

>トラックおばはんは逆に「非日常?なにそれ(笑)」やしな
>もしセオリーみたいのが有るとすればその辺りかもね

でも虫に愛されていた宗教おばさんはそれこ水を得た魚状態だったけどね

>それこそ「無用な暴言」と性質としては大して変わらないのでは

「無用な暴言」のうってつけの見本は

>皆が皆おまえみたいに僻みっぽい性格してるわけじゃないから

だな