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極限値は1(整数) 極限値に至るまではとても有効桁数が大きい小数 |
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有限桁では0.999…<1 無限桁では0.9999…=1 どうも指示対象が有限桁か無限桁かで 混乱があるようで |
小学校向けの説明でも、矛盾は全く無いよ。 無限級数の引き算はできるしな。 |
>0.999999(以下 9の循環小数;TEXなので表記不十分ごめん) その娘の詳細きぼんぬッ! |
>整数なのか実数なのか という問いがそもそもアレだが、 0.99999…≠1 という世界もあるよ。 |
>その娘の詳細きぼんぬッ! 画像検索してオナニーするだけにしとけよ 護りたいとか妄想して握手会に行くんじゃねーぞ |
1の位が0だから、1にはなれない。 でも1と見なす世界もある。 |
アルキメデス的な数だと仮定すれば、循環小数だから有理数だよ。 で、実数の擬位相としての極限の概念を使わなくても代数的に関係と対応から >0.999999999999999999999999999999999999999(以下循環小数) は1となる。 1ではないとするには、アルキメデス的ではない数体系の要素として考えた場合や演算を制限したもので考える。 |
人間が勝手に決めた二種類の法則で言い争うバカ共が集うスレ |
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言い争いは全くなくて、皆同じようなコト言っていると思うのだが…w |
>言い争いは全くなくて、皆同じようなコト言っていると思うのだが…w それを言い争いって言うんだが語尾に卑屈な笑いを付けて強がる君には説明しても解かるまいて |
>皆同じようなコト言っていると思うのだが…w ならなんでこんな喧々諤々してんだよ 賢い振りするほど頭が良い訳ではないカスが調子扱くなよ |
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例えばいくつかの有理数の構成法があるが、正の整数の要素からなる順序対全体の集合に適当な加法と乗法を定めてQ(+)を作り、同様に負の整数からQ(-)を作り、それらと0を合わせてQを構成する方法がある。 整数Zの要素mをQの要素(m,1)と同一視する対応を定め、Zの要素の除法をQの要素に対応させることができる。これで分数表記の正当性が代数的にいえる。 次に小数展開だが、簡単に十進小数展開として、整数部分を[A]として、小数部分に対応する有限順序組(a1,a2,…,an)によって([A],a1,a2,…,an)、同様に循環する無限順序組によって小数部分を表し(a1,a2,…)によって([A],a1,a2,…)とし、その両方によってQの要素の小数表記と対応させられる。 詳細は面倒な議論があるが、無限順序対が定義されていればここまでで極限は必要ない。 |
ん?ここでは、妙ちくりんな俺理論は提示されていないだろ?単なる煽りがちょいあっただけでさ。 |
>なんでこんな喧々諤々 気づいてるかどうか知らんけど、 偏屈の巣窟だぞ、ここ。 |
このスレの議論では有理数の範囲に限定することができるが、実数論の極限・収束などの擬位相・位相の概念を用いればもっと見通しよく一般的に論じることができる。 |
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww |
数学 お約束の世界ですからーー |
>皆同じようなコト言っていると思うのだが…w じゃあ馬鹿ばっかりって事ですね |
数学バカと単なるバカでほとんど全てだな。 |
almost all |
>整数なのか実数なのか (答)実数ですが、整数じゃないです - 終了 - |
↑の解説 少し考えれば自明ですが 「極限を取ると整数になる実数列」 という集合の元は、どこまでいっても整数じゃないのです あと、これは細かい点なんだが お題みたいな「循環小数表示」だと あくまで「可算無限」桁の小数でしかないので 実数と違って稠密(dense/濃度アレフ1)じゃないからね 極限をとっても「1」にはならないのです(^^; 今後は気を付けましょう(笑) |
自分が正解出した気になってムキムキしてるバカも居るな |
>No.99539 >No.99540 証明を省く馬鹿www |
>>整数なのか実数なのか >(答)実数ですが、整数じゃないです 1は整数じゃ 馬鹿 |
>お題みたいな「循環小数表示」だと >あくまで「可算無限」桁の小数でしかないので これを現代人にもわかりやすく書くと 小数表示は、たとえ無限桁でもデジタル表示なので 実数=稠密で連続=アナログ表示しかできない物を 原理的に表現できないわけ いくら解像度や分解能を上げても(桁数を増やしても)、 所詮、小数はデジタル表示による実数の近似値であって アナログ量である実数値の正しい表示にはならないのですよ |
可能無限だと一致しないんだっけ? 実無限だと一致する立場の論理が一般的だな。 その方が圧倒的に役に立つ。 現代の極限の定義を素直に考えると一致する方に軍配があがるし、普通の考え方だ。 どちらが直観に一致するかというのは、また別の話。 |
>小数表示は、たとえ無限桁でもデジタル表示なので >実数=稠密で連続=アナログ表示しかできない物を >原理的に表現できないわけ そうかあ?これは違うだろ。 ちなみに、WolframAlphaで計算させてみると… http://www.wolframalpha.com/input/?i=0.999%E2%80%A6 ほら、正確に「1」という答えが出てくる。 |
可能無限主義者は矛盾している 一致しないと言いながら極限で=1を使う |
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「極限を取ると整数になる実数列」を整数に対応させる写像を表す表記が例えば10進小数展開なんだから、その写像の像は整数だよ。 「極限を取ると整数になる実数列」という可算順序組集合はその写像の定義域集合だが、その写像の像は整数。 |
>小数表示は、たとえ無限桁でもデジタル表示なので >>実数=稠密で連続=アナログ表示しかできない物を >>原理的に表現できないわけ もうお笑いに近いんだが。「稠密で連続」とかもうどこまで本気で書いてる? もしかして、数学勉強始めたばっかりの学生をからかうため? |
>これを現代人にもわかりやすく書くと アナログメモリの「容量」をデジタルメモリに換算すると無限大、 という話の方がわかりやすいんじゃね? |
稠密で連続はどこが間違いなんだ? |
デジタルメモリーだとしても、循環小数だと分かった瞬間に分数形式で変換しておけば、メモリーに収まるだろ。 WolframAlphaは多分そうやっているんだろ? |
スマホの一部電卓アプリとか関数電卓でもやってるな。 |
何w?電卓w? 電卓の話なら任せておきたまへw |
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Σ[i=1..∞](9*10^(-i))=lim[n→∞]{0.9×(1-0.1^n)/(1-0.1)}=lim[n→∞]{1-0.1^n} が1に等しいことを証明するにはε-δ論法を認めたらできる、とする俗説があるが、 ε-δ論法が言っていることは任意のε>0に対して例のδが存在する、というだけで、 ε=0に対してδが存在するか否かが非言及である件について: つまりε-δ論法からの線ではせいぜいlim[n→∞]{1-0.1^n}の収束先が1であることが言えるだけで、 肝心のlim[n→∞]{1-0.1^n}が1なのかどうかわからん (∵lim[n→∞]{1-0.1^n}=1となるのはε=0のケースでε-δ論法の管轄外 つまり事は高校で習う無限級数のレベルでは済まなくて、 1も0.9999...も無理数では有り得ず(つまり両方有理数であり)、 1も0.9999...の間に無理数が存在し得ない(非循環小数が入る余地が無い ことからlim[n→∞]{1-0.1^n}=1が言われねばならぬ、 希ガス、 |
長々と書いているけど要するに「極限はその数自身じゃないよー」ってこったろ。 可能無限の一派のように、それを認めない派閥も存在するから心配するな。 まあ、一致するのを認めて計算を楽にする方が良いと思うがのう。ふぉっふぉっふぉ…ってなもんだ。 |
この場合は親戚のε―N論法でいいのよ。 |
可能無限=任意有限は結局有限だからね。 |
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>まあ、一致するのを認めて計算を楽にする方が良いと思うがのう。ふぉっふぉっふぉ…ってなもんだ。 本当かのうlim[n→∞]{x-0.1^n}をxと1対1に対応付ける(全単射である)写像 f:{ lim[n→∞]{x-0.1^n}の集合 }→{ xの集合 } が存在するなら形式的に「一致するのを認めて」計算を楽にするという立場も成立し得るが、 { xの集合 }=Rとしたときに、本当にそんな都合の良い全単射写像fが存在するのやろうか… というのは、xが無理数だったら、0.1^nの方はどこまで逝っても有理数だから、 x<x+ε<x+0.1^nを満足する無理数x+ε(もちろんxとは相違する)が存在する可能性が排除できない 故に全単射なfは存在し得ないという結論になりそうなキモス、 |
>x<x+ε<x+0.1^nを満足する無理数x+ε(もちろんxとは相違する)が存在する可能性が排除できない 排除できないというか、nが任意有限の場合は、それは有理数・実数の稠密性から無数に存在するさ。 極限の定義は、その任意有限をスッ飛ばかしてnを少なくとも最小の無限基数に当てはめた対応・写像だよ。 例えば、お馴染みのZFなら無限公理によって少なくとも有限ではない要素を持つ集合もみとめる。 |
>x<x+ε<x+0.1^nを満足する無理数x+ε(もちろんxとは相違する)が存在する可能性が排除できない このことから、 >故に全単射なfは存在し得ないという結論になりそうなキモス、 という結論を出すなら、Rの要素であるnやxはアルキメデス的でないということになる。 f:{ lim[n→∞]{x-0.1^n}の集合 }→{ xの集合 } は、アルキメデスの公理と基本列の収束から、結局xをx自身に対応させる全単射だよ。 |
大した事書いて無い癖に行空けて場所取りやがって |
式で行あけてるだけだろ |
No.79385は実数論勉強してないのか |
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>稠密で連続はどこが間違いなんだ? 間違いというより場違い。 あちこちで聞きかじったものを、理解せぬままつなげ合わせたのが手に取るようにばれてしまう。 本当に数学の景色を楽しみたいなら、一つ一つ、一見して辛くて詰まらない理論の階段を上ってゆくしかないのだが、それをやらないからこうなる。 |
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>間違いというより場違い。 >あちこちで聞きかじったものを、理解せぬままつなげ合わせたのが手に取るようにばれてしまう。???連続で稠密というのは、アナログ量の数学的定義そのものなんだが・・・?この人は一体、何が言いたいのか意味不明日本では大抵大学1年で習う実解析も、そういう対象を扱う方法のお勉強なんですよ結論:No.99608 は大学1年生からやり直しですね |
>一つ一つ、一見して どういう意味でしか? 高卒にも分かる様に説明してくれましか? |
>間違いというより場違い 間違いと場違いってどう違うのですか? |
>あちこちで聞きかじったものを、理解せぬままつなげ合わせたのが手に取るようにばれてしまう。 自己紹介だな。 |
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多分これは芋場だよなぁ。 >実数=稠密で連続 "="の使い方は目を瞑るとしても実数は稠密で連続なのは正しい。これにはNo.99608さんの「場違い」の意味の方がよくわからない。 でもその前の、 >お題みたいな「循環小数表示」だと >あくまで「可算無限」桁の小数でしかないので >実数と違って稠密(dense/濃度アレフ1)じゃないからね >極限をとっても「1」にはならないのです(^^; これは間違い。可算無限桁の循環小数であればスレの小数にあたる十進展開小数の級数の極限は1だよ。 それに有理数も稠密なんだがな。 |
>何でこのレスを自分で消したのかねw??? すまない同志よ! 書き足したんだ!! |
ごめん…。 同志じゃなかったかも。 |
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>級数の極限は1 級数の極限は1だが、これは可算無限桁ではないのだよ |
数学の成績が悪そうな人が多いスレだね |
>級数の極限は1だが、これは可算無限桁ではないのだよ スレの小数表記は曖昧だが、 >お題みたいな「循環小数表示」だと と書いてあるから、可算無限桁のことをNo.99540は1に収束しないと言ってるのよ。 循環小数表記は可算無限桁。 |
無限桁じゃないなら有限小数だから循環小数じゃない。循環小数なら、可算無限桁であって級数展開でも可算無限の項の和だ。 No.99540はそこを間違っている。 >お題みたいな「循環小数表示」だと >あくまで「可算無限」桁の小数でしかないので >実数と違って稠密(dense/濃度アレフ1)じゃないからね >極限をとっても「1」にはならないのです(^^; 有限小数と無限循環小数(可算無限桁)で表記される有理数は稠密だが連続ではない(例えば有理数は連結公理をみたさないなどの実数の連続性をみたさない)ということで稠密ではないということではない。 >「可算無限」桁の小数 は実数の構成法の一つである「無限有理数列による完備化」によって有理数も実数も表せる。 |
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納n;k=0→∞](w/10^n) |
ぶっちゃけ氏のmixi参照 http://open.mixi.jp/user/14882521/diary/1944043158 ぶっちゃけ氏の証明の特徴として ・論法として極限(例:lim[n→∞] 1-0.1^n)を用いていない ・演算が有理数で閉じており実数の範囲(例:デデーキント切断)まで概念を広げていない ・循環小数同士の加法(減法)(例:9.999… − 0.999…)や(循環小数同士の加法によって定義される)循環小数の乗法(例:0.333 … + 0.333… + 0.333… = 0.333… × 3)を用いていない ・順序体(アルキメデス順序体)が担保されている公理系を採択(前提に)している(超順序体は一切関与していない) |
>実数と違って稠密(dense/濃度アレフ1)じゃないからね (整数は稠密ではないが)一般に有理数は稠密だ それに稠密は濃度と別概念なのでなにもここで濃度に言及する論理的必然性はないのでは(蛇足では)? ぶっちゃけ氏のmixi参照されたし http://open.mixi.jp/user/14882521/diary/980987980 もっと言えば連続体濃度「アレフ」が(可算無限濃度の次の濃度である)「アレフ1」かどうかは現在の数学で用いられる標準的な枠組みのもとでは「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ということが明確に証明されている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BD%93%E4%BB%AE%E8%AA%AC なのでここで「アレフ1」に言及する必然性は皆無と思われる(蛇足または論点のすり替え) |
アルキメデス性が担保されれば、0.999…=1は言えるんじゃなかったっけ? だから、ぶっちゃけ氏の証明は成立が当然といえば当然とも言える。 |
ちょっ有理数が稠密かどうかとかはこの際どうでも良くて、 No.99582の式は符号を間違えたので訂正するが、 x > x - ε > x - 0.1^n を満たすε>0が xが無理数のとき無限にあるのに xが有理数になったとたん0個になる というのはカナーリ直感(この場合数直線な世界観)に反するのではないか というのは、変わったのはxの種類だけで、xからの距離0.1^nでは無いからだ やっぱ何がしかの論理の抜け穴があって、 1 > 1 - ε > 0.99999... を満たすεも無数にあると考えるのが自然な希ガス |
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さもなくば、有理数は真正の「点」とみなせても 無理数にはいくばくかの面積を仮定せざるを得ないとか、 やっぱ小数表記しようとしたとき計算が無限に続くというのには数直線上での存在が定まらない 不確定性みたいなのものが付きまとうのでは… とか考えてみたりみなかったりする秋の夜長 |
>アルキメデス性が担保されれば、0.999…=1は言えるんじゃなかったっけ? 有理数であればアルキメデス性が担保されているのでぶっちゃけ氏の証明は最初に >この証明において、0.999… は 9 を循環節とする無限小数、かつ、標準的な数体系(数論)を前提とした公理系を扱う。 と謳っているな >ぶっちゃけ氏の証明は成立が当然といえば当然とも言える。 当然と言えば当然だがなぜ当然と言えるのかを示すのが証明 |
前提条件として「有理数の範囲で考える」のならアルキメデス性を持ち出す以前に、 0.999…は有理数では「9/9=1」しかあり得ない。(他にあるのか?) 前提条件として「実数の範囲で考える」のなら、アルキメデス性を持ち出す 意味はあるが…。 いずれにせよ、前提条件を調整してなんとか証明しようとする普通の行為に俺には映るなあ。 |
>xが無理数のとき無限にあるのに >xが有理数になったとたん0個になる いや、そうじゃなくて。 xが有理数でも無理数でも関係なく、nが任意有限の時に、つまり数列・点列を規定するリカージョンの鎖(数学的帰納法といってもいい)によってある数より大きなnでは全てその不等式が成り立つ時、その数列をxという実数に対応させるのが極限なんだよ。 収束列の公理の不等式は数列の条件を篩にかける条件を示していて、無数にある(無限)収束列を全射的に実数に対応づけることで構成的に実数を認めようねってだけ。 |
ぶっちゃけ氏の証明にはアルキメデス性をちゃんと使ってるな。 アルキメデス性は自然数にも公理として普通入れるから、自由に使っていいと思う。 |
>No.79385 上の説明では通じないかもしれないから直接的にいえば、xが有理数でも無理数でも0.1^nのnが任意有限(自然数の集合Nの特定の要素nである時)の場合は、その不等式を満たすεは無数に存在する。当然εの候補は有理数も無理数も有り得て、それぞれ無限に存在する。これが有理数と実数の稠密性。 そして、極限の定義の∞の意味は、「ある特定の数より大きなn すべてにおいてその不等式が成立するという規則が存在する」ということか「めんどくさいから、あらゆる自然数のどの要素よりも真に大なる要素を少なくとも一つ認めてそれを∞の代わりにする公理・規則がある」というどちらかで解釈するんだよ。 |
アルキメデス性はそんなに自明かw? まあ、普通は成り立つけどな。 逆に言えば「0.999…≠1」を考えるということは、アルキメデス性をあきらめるということでもあるわな。 |
アキラメル性をあるきめです。 |
>0.999…は有理数では「9/9=1」しかあり得ない。(他にあるのか?) なぜ「あり得ない」のかを証明したのがぶっちゃけ氏 公理でもないのに「あり得ない」でNo.99699は終わらせるのか? |
そんなコトやらんでも、そもそも0.999…が有理数なら四則演算が成り立つのだから、小学生に説明するタイプの「0.999…=1」の証明が当然のごとく正当性を持つだろw |
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>そもそも0.999…が有理数なら四則演算が成り立つのだから、 自然数や有理数などにアルキメデス性を認めないとすれば、nを自然数として10^nとなる自然数の集合を考えた時にその最大の元が存在することになる。 言い換えれば、1/10^nという十進小数展開の基底に最小のものが存在するということになり、無限小数展開表記そのものが不可能になる。 「0.999…=1」の議論以前に十進小数展開の基底を可算無限の項とるためにはアルキメデス性を既に使ってるのよ。 10の逆冪基底に対する係数にあたる数の無限順序組によって有理数を表した場合も、四則演算が定義されアルキメデス性のある有理数体と整合ある対応をつけないといけないからね。 |
「1-1/10^X = 1」となるXは何か? Xは全自然数よりも大きい、そしてXは自然数では無い つまり、0.999...=1となる無限桁は可算無限では無い |
無限桁が存在するという時点で可能無限じゃないだろw アルキメデス性の説明も、可能無限の立場だとどうなるんだろうな |
>上の説明では通じないかもしれないから直接的にいえば、xが有理数でも無理数でも0.1^nのnが任意有限(自然数の集合Nの特定の要素nである時)の場合は、その不等式を満たすεは無数に存在する。当然εの候補は有理数も無理数も有り得て、それぞれ無限に存在する。これが有理数と実数の稠密性。 そんなシチメンドクサイ事言わずに任意の実数の任意の近傍には、ある有理数の元が含まれる、って言えばいいだろ。 |
>そもそも0.999…が有理数なら四則演算が成り立つのだから 「そもそも0.999…が実数なら四則演算が成り立つのだから」 と同様無限小数の四則演算がなぜできるのかを厳密に説明するためには極限の概念を導入する必要がある 極限の概念を敢えてさ回避するためにぶっちゃけ氏は腐心してるんだと思われ |
「有理数」を「実数」に無理矢理変えていないか?w 有理数なら極限操作は不要! |
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>そんなシチメンドクサイ事言わずに任意の実数の任意の近傍には、ある有理数の元が含まれる、って言えばいいだろ。 だからその有理数や実数の稠密性の証明は「アルキメデスの公理」と「自然数の任意の部分集合は最小限を持つ(自然数の整列性公理)」などが必要になる。 近傍で考えても突き詰めればやはり必要になる。 |
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>つまり、0.999...=1となる無限桁は可算無限では無い やっぱり可算無限と任意有限を混同しているんだな。 可算無限は任意有限よりも真に大きい無限。 任意有限は自然数の集合Nの特定要素だから有限。 可能無限とは無限の要素があるNから一つの要素を指定できる公理までは認めているということ。 そして、自然数や順序数の場合、ある特定の要素を取り出せばその後続が常に存在しているということが可能無限の本質。 その特定の要素nが任意有限の要素で、そのn以下の要素全てからなる集合を指定すれば、その集合の要素全てを含み、且つ、nの後続をも含む集合が存在することを認めるなら、かつて可能無限と呼んだ。 言い換えれば数学的帰納法の原理に近い。 可算無限と可能無限は違うぞ。 可算無限はその対比で言えば実無限だ。 |
ついでに言えば今は可能無限と実無限の対比は古くてほぼ使われない。 実無限を一つ与えれば、可能無限の議論はリカージョンの議論になるからだ。 |
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この場合は妥当ではないと言える。 可能無限と実無限の発想は数理論理や公理的集合論の範疇では最早意味を成さない。 既に書いているが、実無限を一つ与える現代の標準的な数学体系では、可能無限は順序数などのリカージョン構造を持つ全ての集合・類に当てはまり、実無限の要素で構成された超限基数ですら可能無限になる。 実無限が一つも与えられない体系では、可能無限とは単に任意有限のことを表す。 したがって、「任意有限」「たかだか可算」「非加算無限」などの表現の方が正確になる。 |
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「一階述語論理+ペアノの公理系+自然数の算術公理」という一階ペアノ算術の公理系によるモデルの考察とコンパクト性定理により、この基本的なモデルに(強い)可能無限的な標準モデルと実無限を含む非標準モデルが存在するが、「二階ペアノ算術の公理系モデル」はヘンキン的でない時、意味論的にカテゴリカルになる。 1930年頃の結果であるが、この時点で既に「可能無限」と「実無限」の対比はほぼ意味がなくなった。 |
>ではその範疇以外においても自由に議論したまへw 現代では「可能無限」は死語に近いと言うこともあるが、任意有限と可算無限を間違えているレスがあるからそのほうが深刻だ。 >「1-1/10^X = 1」となるXは何か? >Xは全自然数よりも大きい、そしてXは自然数では無い >つまり、0.999...=1となる無限桁は可算無限では無い 可算無限はかつての可能無限・実無限の対比で言えば実無限であって、上の引用部分の「Xは自然数では無い」は「Xは任意有限ではない」ということ。 |
いやいや、実無限の立場で全自然数の集合Nを考えた時 XはNの要素じゃ無いだろ? |
そうだよ。 だから、無限循環小数表記は「可算無限桁」だといえるんだ。 結論が間違っている。 標準的自然数の集合の要素はどれをとっても任意有限。 しかし、自然数全体の基数・濃度は実無限である可算無限。 修正すれば、 >つまり、0.999...=1となる無限桁は可算無限では無い は、 「つまり、0.999...=1となる無限桁は任意有限では無い」 となる。 任意有限ではないから無限だ。 しかも可算無限だということになる。 |
先にあげた、標準的一階ペアノ算術公理系のシステムで、自然数に超準元を認めないシステムの解釈の範疇では、任意有限と可算無限の区別が付かない。 区別を付けているということは二階以上の論理システムであるか、超準元を独立に認めたシステムであるといえる。 |
難しいなあw 「可能無限=任意有限」の認識で良いの? 実無限が本当に存在するのかという疑問もあるし、任意有限で良いんじゃないのって人もたくさんいそうな気がするなあ。 |
今は、歴史的文脈以外では「可能無限」という言葉をほぼ使うことがなくなった訳だけれど、20世紀始め頃の可能無限と実無限に関わる議論において、無限を定式化する方法論としてどこまで考えるのかという争いと混乱があった時期の話。 ここで「素朴な可能無限」としてリカージョンをみとめ、(集合・類の要素としては)実無限要素の排除のことだとして、単純にリカージョンで無限をとらえる発想を「その後の可能無限」としよう。 「素朴な可能無限」派は、先の標準的な自然数の集合Nのように、その要素のどれをとっても有限(任意有限)だが、ペアノの公理のリカージョンによってどの要素にも必ず「後者」と呼ばれる要素があり、これによってNの要素の個数(?)は無限であるというところまでは認めている。 |
そこで、自然数の要素に自然数全体の個数(濃度)と対等な要素を含めない述語論理のモデルでどのあたりまで数学がうまく埋め込まれるのかということを考えた。 それによって、数学の中から実無限を表面に出さないで(少なくとも集合の要素として超限的なものを排除して)論じることができるという期待を抱いた。 ところが、「素朴な可能無限」の立場で標準的一階ペアノ算術モデルでは先の任意有限と実無限の一つでもある可算無限をある意味区別できない。 したがって、実無限を排除するどころか無数に実無限による超限的リカージョンを生みだし、しかも「素朴な可能無限」の立場からはその実無限と任意有限を区別できないということがわかった。 |
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つまり、「素朴な可能無限」の立場では、実無限を排除したくても、仮に紛れ込んでいたとしても区別が付かない。 そして、ゲーデル、スコーレム、ヘンキン、ボレルなどの仕事のあと、可能無限と実無限の発想はより適切な述語に置き換えられていく。 順序数の概念や、リカージョンや、到達可能・不能、などその延長に広がっていった。これらを「その後の可能無限」の子孫と考えることができるかもしれない。 |
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超限的リカージョンとは超限帰納法や超限順序数などのことだよ。 標準一階ペアノ算術モデルの中では、仮にωという超限数が紛れていても入っていなくても矛盾無いモデルが有り(相対的無矛盾に)この場合それぞれが同型ではないモデルとして2つになる。 そしてその範囲では仮にωが標準的自然数の要素ではないと示そうとしても、一気に(どんなに大きな)n個の証拠を提示することができるが無限の証拠は集められない。 大雑把に言えばそういうこと。 二階以上では、論理的自由変数同士の「対応」が定まるので、任意有限と可算無限、更には非可算無限も存在が示せる。 |
でも、2階以上にして、リカージョン(再起性?)を設定した瞬間にゲーデルが発動して、真とも偽とも言えない命題が同時に発生するんだろ?確か。 だったら、そもそもリカージョンの設定自体がおかしいとまでは言わないが、微妙な行為だったんじゃないの? |
だから二階以上なら一階ペアノ算術:PA(1)のモデルで上手く定義できなかった超限的要素を区別できる程度に定義できるのよ。 |
わからんw |