もう6月下旬にさしか - 軍@ふたば保管庫

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もう6月下旬にさしかかりますが、沖縄の戦い最末期から今年でちょうど70年になるんですね。
(画像は沖縄戦で活躍したと言われる150mm砲と榴弾砲)。

水木しげるの漫画で大砲を放棄する時に閉鎖器は分解して別の場所に捨ててる描写があったけれど
この二門はその余裕もなかったのだろうか

96式榴弾砲の方は確か米軍の攻撃で破壊されて操作員も皆死んでたはず

>この火砲かほうは野戦重砲兵第1連隊第4中隊に所属し、沖縄防衛戦に奮戦したが、
>糸満市いとまんし真壁まかべの陣地において昭和20年6月23日全弾を撃ち尽くして中隊は砲とその運命を共にした。
http://www.geocities.jp/bane2161/96siki15sentiryuudanhou.htm

駐退機がブッ壊れてたのでそれで代えたのだと思ってた

こういうのでも砲身って鉛で塞がれているの?

弱装弾を撃って停弾させる、っていうのは実際にあったのだろうか

>>弱装弾を撃って停弾させる、っていうのは実際にあったのだろうか

これ、自分も興味あります。
昔、何かの写真で、放棄されたM4戦車の砲身の先端から砲弾がちょこっとはみ出してるってのがあったのですが、どうやってあんなことするんだろうか?、と疑問に思ってました。

どなたかご教授下さい。

大砲も芯出しのためライフルを切っているが、その効果と併せて先っぽを絞っている。

そうしないと吹き矢を吹いているのと同じくなる。

全体的には一升瓶をグーと伸ばしたイメージでござる。
大筒の中で回転して先っぽまで加速した弾は、十分に圧が高まった状態で放出される。
回転では10%エネルギ−損失となるがどこへ飛んでいくか分からない状態にはならない。

 ↓ かなり始末悪いよう。
>弱装弾を撃って停弾させる、っていうのは
退却時には敵に利用されないため必須作業。

>>全体的には一升瓶をグーと伸ばしたイメージでござる。

なるほど、だから砲口部分で砲弾が止まると言うことですか。
ありがとうございました。

いつも例が山本七平(元砲兵少尉)で申し訳ないが、砲の処分法も書いていたので・・

1.集めた石を砲口からギッシリ詰め込む
2.普通に弾頭(瞬発信管)と装薬を装填
3.拉縄に長い紐を結びつけ、それを持った砲手は掩体などに体を隠す
4.拉縄を引き発射、同時に弾頭炸裂、砲身吹っ飛ばす
で処分終了

>弱装弾を撃って停弾させる
のは、装薬の量が微妙だから、処分方法としては面倒だと思うなぁ
他に読んだ事あるのは、砲口から弾頭を逆向きに押し込み、普通に砲弾を発射して爆破する方法

砲の処分方法として一般的なのは、戦砲隊に「備品」として配布される爆破処分用爆薬で爆破する事だと思う
それが野戦等で存在しない時などに、上記の方法を取る
九七式自動砲の教範にも爆破用の破甲地雷が「属品」としてあったかと

砲弾使う方法は、全弾撃ち尽した後には使えないな。

大砲の話で盛り上がってるところすまんが、沖縄戦では米軍の司令官も戦死してたんですね。6月18日に。
で、あさっては、牛島満中将の戦没日。
米軍は硫黄島の戦いの倍くらい戦死者が出てるのは初めて知った。

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アメリカに仕事に行ったついでに軍オタの欲望を悉くはたしてきたんだけど、その一部として。
太平洋戦線は皇軍ばかりでなく、米軍にも悪夢の戦線だったという事でしょうな。そら止めたくもなるわ。

>米軍にも悪夢の戦線だったという事でしょうな。

沖縄戦投入兵力って、ノルマンディよりも多かったのか。

沖縄は米国単独だけど、ノルマンディーはイギリス軍がいたからな

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すごい


>太平洋戦線は皇軍ばかりでなく、米軍にも悪夢の戦線だったという事でしょうな。
したのページを見ると主要な戦いは米軍にとってもかなりきついものだったように思える

沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」
http://www.okinawa-senshi.com/index.htm

>沖縄は米国単独だけど、ノルマンディーはイギリス軍がいたからな
完全に渡洋作戦だしな
戦闘正面の戦力以外にも山のような補助的兵員が必要になるわけだし。

沖縄戦は住民を巻き込んだりした悲惨すぎる戦いだったので、硫黄島戦ほど興味深く知ろうとはしなかったんだか、これほどまで米軍にダメージを与えたとは意外だった
昨年、普天間の壕に行った際、手を合わせてきたのだが、もっといろんな場所で感謝したいと改めて思う

>退却時には敵に利用されないため必須作業。
つってもモノにあふれる米軍が日本軍の砲を入手しても使いはしなさそう
研究用として持ち帰ることはするだろうけど
わざわざ自軍兵器として運用する意味はないような
逆に日本軍が鹵獲兵器を使用した例は多数あるけれども・・・

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>つってもモノにあふれる米軍が日本軍の砲を入手しても使いはしなさそう
一応日本軍の兵器を鹵獲して使うこともなくはなかったみたい例えば92式歩兵砲とかこの画像のチハとか

米兵が我らのチハで暴れ回っている姿なんて、なんか胸暑
スレ画はテスト中っぽいが

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ちなみに本スレとはちと離れるけど、悪夢の一因。
お互い「もう止めような!な!!」っと言いたくなる。

>お互い「もう止めような!な!!」

沖縄戦での米軍側は、かなりメンタルをやられた将兵が多かったようですね。
特に、特攻機にさらされた海軍(軍艦乗員)。

>日本軍の砲を入手しても

入手自体が困難でしょう
数が少ないですから

独ソ戦の場合、ドイツ軍はソ連軍から大量の火砲を入手して使ってます。
ラッチェバムがよく知られていますが、軍団砲兵レベルの152mm砲まで使ってます

>一応日本軍の兵器を鹵獲して使うこともなくはなかったみたい
例えば92式歩兵砲とかこの画像のチハとか

アメリカ人がチハに入れることが驚き

>ろうとはしなかったんだか、これほどまで米軍にダメージを与えたとは意外だった
硫黄島と並んで日本軍がまっとうな戦術で戦った希少な戦いだからな
まあそれも大本営のバカ参謀がぶち壊しにしてくれちゃったけど

>沖縄戦での米軍側は、かなりメンタルをやられた将兵が多かったようですね。
>特に、特攻機にさらされた海軍(軍艦乗員)。
沖縄戦で一番多数の死者を出したのは海軍だからな。
海軍が4907人、陸軍が4675人、海兵隊が2938人。
負傷者とかは陸軍の方が多いけど、米海軍にとっては20世紀でもっとも苛烈な戦場の一つ。

>わざわざ自軍兵器として運用する意味はないような
意味のあるなし、実際に実行可能か否かの問題ではなく、兵器を放棄する場合は必ず破壊処分するというのが規定で決まってるんだよ
だから破壊用の爆薬まで最初から備品としてある訳で
軍隊は役所であるという事をお忘れか?

 そして今日は牛島中将の戦没日が。合掌。

>そして今日は牛島中将の戦没日が。合掌。
2年前亡くなったうちの婆さんがその人の秘書だったよ
戦争終わった時に陸軍省にあった備品好きに持って行っていいよとの事で
一杯持ち帰ったので戦争は良い思い出との事

「沖縄戦時の知事 功績たたえ顕彰碑 出身地の兵庫知事ら除幕式出席」

http://www.sankei.com/west/news/150626/wst1506260072-n1.html

NHKの沖縄戦の番組で沖縄は捨て石にされたとか何度も言って煽ってたけど、本当に捨て石扱いだったの?

主力の9Dを台湾に転用して増援の約束も反故にされたとなりゃあ
捨て石呼ばわりされるのもやむなし
第32軍はよく戦ったけど大本営は沖縄防衛を真剣に考えていたとはとても思えない

>NHKの沖縄戦の番組で沖縄は捨て石にされたとか何度も言って煽ってたけど、本当に捨て石扱いだったの?
捨石ならあんなに守備兵力置かんって
少数兵力だけ残して九州あたりにでも移動させてるよ

>第32軍はよく戦ったけど大本営は沖縄防衛を真剣に考えていたとはとても思えない
第二艦隊の出撃や第五航空艦隊の出撃ももう少し連携して出撃するべきでした

物の言いようでイメージが変わるからね・・・

捨石っていえば見捨てられたところになるし、本土防衛の
時間を稼ぐため遅滞防御を担わされた(島だから本土への
撤退は無理だけど)となれば戦略的には理解できる。
少なくとも天号や菊水で沖縄に来た米軍に打撃を与えようと
したし・・・

大本営の迷走は困ったものだけど

>捨石ならあんなに守備兵力置かんって
>少数兵力だけ残して九州あたりにでも移動させてるよ
死守するなら明らかに足りない兵力なのです
しかも九州どころか台湾に移動させるという謎戦略

>しかも九州どころか台湾に移動させるという謎戦略

普通に台湾〜大陸へ米軍上陸が危惧されていたからだが
謎でもなんでもないよ

あの当時、本土たる沖縄の防衛戦略を瓦解させてでも、
台湾を守るほうが優先度高かったのかね?
そりゃ台湾も当時はほぼ本土だったのはわかるけどさ。

>あの当時、本土たる沖縄の防衛戦略を瓦解させてでも、
>台湾を守るほうが優先度高かったのかね?
>そりゃ台湾も当時はほぼ本土だったのはわかるけどさ。
レイテ決勝前の台湾沖航空戦でいずれ上陸するかもしれないと思ったのでは?

台湾を抑えた後、中国大陸にオーバーロードやられたら中国
派遣軍がえらいことになることはわかるんだけど、その前に
東京に来るだろう(困惑)

そこらへん戦略上の優先順位が滅茶苦茶になってるなーと思
います。

沖縄と台湾で日本軍としちゃ飛車角取りくらってたようなもん
米軍的にはぶっちゃけどっちでも本土進攻拠点と南方資源完全遮断の目的は達成されるだろうし
マッカーサーがごねなきゃフィリピンすら放置して一気に台湾って選択もあった

捨石云々と言うのは単に沖縄には降伏を許さず最後まで戦えと命じた為に軍民共に多大な犠牲を出したのに
本土は一戦も交えず、あっさりと白旗挙げて降伏したからじゃないの。

>沖縄と台湾で日本軍としちゃ飛車角取りくらってたようなもん

太平洋戦争の後半にしばしばあった状況だけど、
島嶼戦で制海権と主導権とられてるせいか、
毎度毎度陽動に引っ掛かって遊兵作ってるんだよな。
マリアナの攻防戦にしても第一機動艦隊の貴重な航空機を、
ニューギニア送っちゃったし。

>捨石云々と言うのは単に沖縄には降伏を許さず最後まで戦えと命じた為に軍民共に多大な犠牲を出したのに
本土は一戦も交えず、あっさりと白旗挙げて降伏したからじゃないの。


それは結果論だから、あのときは本土決戦やる気だったし。

>それは結果論だから、あのときは本土決戦やる気だったし。

そりゃ沖縄の手前本州も玉砕しなけりゃという理屈はたたないだろうが、
家族や恋人が一億特攻の先駆けとして、
大量に死んだ側の人間からしたら理屈は理解しても納得は無理だろうな。

>大量に死んだ側の人間からしたら理屈は理解しても納得は無理だろうな。
運が無かっただけさ
飛び石で九州や四国に上陸してれば
沖縄戦と同様泥沼の本土決戦になるだけで

>>大量に死んだ側の人間からしたら理屈は理解しても納得は無理だろうな。

本土だって空襲で大量に死んでる。
理屈も糞もないよ。
沖縄が特別である理由もない。
俺の母方の祖父も徴兵されてフィリピンで戦死したし。
沖縄で地上戦に巻き込まれた死者と、本土で原爆や空襲で亡くなった死者はなにか違うのか?
それに、返還前の米占領時代には逆に日本への復帰熱が尋常じゃなかったという話や記録を見るに、今の沖縄のあれこれが様々な政治的意図によって恣意的に世論操作しようとしてる、あるいはそうした工作の結果にしか思えない。

根こそぎ動員で引っ張られた人を除いても、民間人に人口の2割の死者が出たっていうのはやはり特別でしょう。

>本土だって空襲で大量に死んでる。
>理屈も糞もないよ。
>沖縄が特別である理由もない。

軍属を除く県民の25%が死んだといわれるが、戦争の場合、
師団の3割の人員が戦死したら壊滅(他の7割もほぼ重軽症で戦闘に堪えないと判断されるため)という基準があることからも、
第二次大戦中でも屈指の悲惨な戦場だったろうよ。

牛島中将の訣別文は当時異例中の異例だったろうが、
それだけの状況が沖縄にはあった。厭戦気分にも一定の理解は示すべきだ。
抗議してる連中に変なのが混じってるのも事実だがな。ゲスの極みだ。

民間人の死傷が多いのは大本営の拙劣な作戦指導が元凶
クソみたいな作戦命令出した連中は戦後ものうのうと生き延びてんだから
そりゃ怒り心頭だわな

沖縄の場合は、戦争だけじゃなくて戦後の処遇もあるだろうよ。
鉄条網の中から出てきてみたら、自分の家が別の鉄条網で囲まれて跡形なくなってる。無論立入不可。
しょうがないから川の上に家でも建てようかみたいな。

そんな経験をした本土(沖縄県以外の内地)の人ってどれほどいるの?
(今の先鋭化した基地問題を見るにつけ、国策で何度も開拓地を振り回され続けた成田の農民と似てるなと思う。
本来の善良な農民と過激派なんて関係ないけど、そういうのが多少たりとも共鳴してしまう現状。)

>民間人の死傷が多いのは大本営の拙劣な作戦指導が元凶

沖縄が危ないということで大本営は本土への疎開をすすめていたのに、
沖縄を離れるのは嫌だと
制海権がなくなり、空襲があるまで残った民間人が死傷した。

悪いのは大本営?

>民間人の死傷が多いのは大本営の拙劣な作戦指導が元凶

死者数と時期を調査した研究があるが、民間人の死者数が跳ね上がるのは首里撤退以降なのだよ。

>制海権がなくなり、空襲があるまで残った民間人が死傷した。
まぁ、いくら箝口令を敷いたところで、たとえば嘉義丸とか対馬丸の悲劇は誰ともなく口コミで伝わったそうだからね。
疎開してない人が悪いみたいな言い方はさすがにどうかと思う。

別の話だが、八重山の離島には無茶な強制疎開をさせられたが故にマラリアでほぼ全滅した事例もある。
(残っていれば無形文化財レベルの祭祀や郷土芸能の多くが途絶えた。)

>まぁ、いくら箝口令を敷いたところで、たとえば嘉義丸とか対馬丸の悲劇は誰ともなく口コミで伝わったそうだからね。

wiki
>3月上旬までの県外疎開船延べ187隻のうち犠牲になったのは「対馬丸」(約1500人死亡)一隻のみであるとされている

他地域での撃沈数まで入れた32隻は論外にしても噂が一人歩きしていたというのが実相。
結局、本人たちが様々な理由をつけて故郷を離れたくなかったというのが大きい。
疎開が禁止されていた場合はともかく、そうでなければ本人に全く責任がないとは言えない

>結局、本人たちが様々な理由をつけて故郷を離れたくなかったというのが大きい。
これは自分の身に置き換えてみればわかるけど、
明日、支那軍が攻めてくるから疎開しなきゃ
と言われてもなかなか実感できませんよね。
2011年の津波でも逃げずに亡くなった方も沢山いました
ということで自分は後知恵で当時の方の行動にあれこれ言うのは控えてます

地政学的にも適度な大きさで有り極東方面ににらみを利かせる一大拠点として大戦後にどうしても必要だった
スターリンが北海道方面から侵入してくれば日本を南北に分けた激戦が始まるからな
既に対日本の大戦後を見越した占領作戦だった
日本への本土空襲用の空軍基地だけなら奄美大島とかでもいい
沖縄は海上封鎖で干上がらせれば戦う必要すら無いからな
膨大な犠牲払って上陸作戦したのはにはそういう意味がある

>民間人の死傷が多いのは大本営の拙劣な作戦指導が元凶
>死者数と時期を調査した研究があるが、民間人の死者数が跳ね上がるのは首里撤退以降なのだよ。
だからある程度うまくいってた首里防衛線の戦力を無謀な総攻撃で磨り潰したのが惜しまれるわけで

>結局、本人たちが様々な理由をつけて故郷を離れたくなかったというのが大きい。
>疎開が禁止されていた場合はともかく、そうでなければ本人に全く責任がないとは言えない

まず、疎開出来たのは子供と老人だけであとは強制徴用な。
戦禍に巻き込まれた一般人の死者を批判するならwikiぐらいはせめて読もう。
そして、当時は大本営発表により日本は戦争に勝ってることになっていた。
おまけに一部の親が子供だけ疎開を決断したのが対馬丸だ。
親の心中は察するにあまりあるな。それを見たら普通の判断では疎開しようとはならない。
そして沖縄空襲が本格化した時点では最早厚い海上封鎖がしかれており、
例え希望者が殺到しても疎開できる状況ではなかった。

>wikiぐらいはせめて読もう。
ここ笑うところですか?

>ここ笑うところですか?
好きにしてください。
とはいえいきなり図書館で本読めと言っても
多分むりなので。

>民間人の死傷が多いのは大本営の拙劣な作戦指導が元凶
戦後、県民の沖縄戦参加はネガティブなイメージしかないけど、郷土に残って積極的に軍の作戦を助けようという人もいた
元県知事の大田昌秀氏などが有名で、鉄血勤皇隊の一員で当時は立派な軍国少年だったと言っている

沖縄方面では決戦はやらないことになっていた
だから第9師団転用して増援も送らなかった
現場は仕方なく乏しい兵力で持久戦やることに
にもかかわらず現地部隊の健闘が伝えられると
大本営は現場に持久策捨てて無謀な攻勢やるよう強要

結果は徒に軍民の損害増やして敵喜ばせただけ
軍の蛮行とやらよりもこっちのほうが本質的な問題なのに
何故かこっちが問題にされるほうが少ないね
日本の平和教育ってのは感情的に戦争や軍事から目をそらすだけで、
何が失敗だったのか、何で失敗したのかについて意図的に
意識が行かないようにしてるとしか思えんな

戦争やらないってことは外交/対外工作活動が主力になるはずなんだが、
そっちには意識が行ってないしね
外交は大使館の仲良しパーティみたいな印象しかないな
工作活動に至ってはそれを行う機関すら設立していない

沖縄戦では本土から最大規模の航空特攻が行われた。海では戦艦大和の艦隊特攻もやった。
固有の領土である沖縄が捨て石なわけないだろ。
大和民族をなめんな!

>沖縄戦では本土から最大規模の航空特攻が行われた。海では戦艦大和の艦隊特攻もやった。
>固有の領土である沖縄が捨て石なわけないだろ。
それには「奪還」という固有の領土を守るための最終的なものが抜けてるよね
だからこそ今海上機動旅団の形で「取り返す」のを本気で考えてるのはいいことだ

陸軍は本土決戦準備の時間稼ぎのつもり
海軍は決戦のつもりで
方針を統一できなかったからグダグダに

>IP:126.212.*(openmobile.ne.jp)
>まず、疎開出来たのは子供と老人だけであとは強制徴用な。

それを踏まえているから私はこう書いているわけで。
>疎開が禁止されていた場合はともかく、

>そして沖縄空襲が本格化した時点では最早厚い海上封鎖がしかれており、
例え希望者が殺到しても疎開できる状況ではなかった。

もはや意味不明です。
wiki>3月上旬までの県外疎開船延べ187隻のうち犠牲になったのは「対馬丸」(約1500人死亡)一隻のみであるとされている
これ読んでないのかい?

wikiから引用している私に対してwikiを読もう、と頓珍漢なことを言い出し、しかもwikiを読んでいないのはキミ自身なんだけど

>疎開が禁止されていた場合はともかく、
書いた通りですがあなたの言っていた民間人は老人と子供を除き強制徴用だから疎開禁止じゃないんでしょうか。

>もはや意味不明です。
意味を理解できないなら人のせいにする前に自分で調べ、
読み直して理解してください。
それでもわからないなら相手を攻撃するのではなく質問しましょう。

>3月上旬までの県外疎開船延べ187隻のうち犠牲になったのは「対馬丸」(約1500人死亡)一隻のみであるとされている
>これ読んでないのかい?

wikiどころかこのスレですら既出ですよ。まずこのスレの自分の都合のいい文章以外も読みましょう。
その上でレスしてくださいね。

>IP:219.122.*(eonet.ne.jp)
>書いた通りですがあなたの言っていた民間人は老人と子供を除き強制徴用だから疎開禁止じゃないんでしょうか。

どうも民間人の定義に相違があったようですね
私が言っている民間人は「疎開が可能だった老人や子供(その保護者)」ですよ

>wikiどころかこのスレですら既出ですよ。

見当たらないので具体的に引用をどうぞ。
どうも根拠になりえないレスを勘違いしているようですが。

>まずこのスレの自分の都合のいい文章以外も読みましょう。
>その上でレスしてくださいね。

これはどうもキミ自身への言葉ですね。精進しなさい

>どうも民間人の定義に相違があったようですね
私が言っている民間人は「疎開が可能だった老人や子供(その保護者)」ですよ

レスする以前に言い訳が稚拙すぎて笑ってしまったわ。
人に向かって精進とか偉そうなこと言うなら、常識的に一言詫びたらどうなんだよw

一応誤解のないように、
私が言っている民間人は「疎開が可能だった老人や子供」。
子供の場合はその保護者にも責任があるということですよ

どうもIP:219.122.*(eonet.ne.jp)は沖縄贔屓が強いように見えるね
No.1123577を見ても
>当時は大本営発表により日本は戦争に勝ってることになっていた。

このように十・十空襲があった後では信じない話をしているし。

>IP:219.122.*(eonet.ne.jp)

えーと、あなたの読解力不足を私が詫びる理由が見当たりませんが・・・
あなたが勝手に勘違いしただけ、というのが事実です。

しかも該当するレスも具体的に答えられないようですし・・・
あ、モンスタークレーマーの類ですかね?

単純に戦闘地域と避難地域を分離すればいいんだけど
中央から派遣されてきた知事が非協力的だったせいで実現せず
しかも当の知事は米軍上陸前に逃亡した

まあ、米軍が引き上げて、自衛隊が十分な防衛力を配備できるのが一番いいんだろうな。
もちろん基地と市街地の線引をキッチリ行い、土地の持ち主とも話し合ってだけどな。

なんかこう、昨今出てきてる独立とか、日米の代わりに中韓軍駐留とかはやっぱりベクトルの違うおかしな論議だと思うんだよねえ。

沖縄の犠牲云々に関しては、繰り返しになるが、当時の日本全体が払った犠牲に比して特別なものにはやはりならないと思うし。

>240d:1a.*(ipv6)
当時の南西海域がどんな状況だったかは、民間船に関する本を一冊でいいから読んでみるといいよ。
一般市民や民生の事を考えるなら、戦争ガーってのとは別のアプローチも試みた方がいい。
(個人的には、「金十丸、奄美の英雄伝説」がおススメ!艦船を含む他船と船団を組むことを好まず、ゆえに生きながらえた商船の話。)

あと、よければ一度「対馬丸記念館」に行ってみてください。
数の多寡ではなく子どもが一瞬にして大量に死んだ後の、遺族や市民個々の感情について勉強になると思います。
少なくとも、軽々と
>疎開が禁止されていた場合はともかく、そうでなければ本人に全く責任がないとは言えない
こんな事は言えなくなりますよ。

ということで、個人的にはこの件はおわり。

>IP:1.114.*(e-mobile.ne.jp)

そもそも軽々と発言したつもりはないよ。
あなたのように勝手に他人のレスを決め付けるのは
実に卑怯で失礼な行為だと思うが自覚がないみたいね。

私も東京空襲で子供を含めた歯医者の親戚が全滅している家でね。
知っているだろうが、
空襲のときは一般市民は消火活動を手伝い、疎開してはいけないことになっていた。
そういうことも無視して、
>「対馬丸記念館」に行ってみてください。
こんな風に沖縄県民だけが被害者顔しているような発言は虫唾が走るのですよ。
何様ですかね?

>No.1123882
横からですんませんけど、いきなり今になってそんなこと言い出したって、
そりゃ当然話が噛み合わないと思いますよ。まあそこまで言うなら当然、戦争をその目で見たんだろうし、
親戚さんとお付き合いがあっただろうから、80超えたかなりご高齢の人なんだろうと思うけど、
日本人なら15年戦争で一族のだれかに死者が出たことがない家のほうが少数派なんじゃないすかね。かくいう私もそうですし。

確かにあなたの話は痛ましいお話だと感じますが、
沖縄の地上戦の惨禍に沖縄県民にも責任があるかどうかって事とは、別の話です。

当の沖縄の住民は、現在とういう感状を抱いてるんだろう?

まあ人により色々だとは思うが。