ニュース表@ふたば保管庫 [戻る]
問題になった百田発言の趣旨も「テレビの広告料ではなく、地上波の既得権をなくしてもらいたい。自由競争なしに五十年も六十年も続いている。自由競争にすれば、テレビ局の状況はかなり変わる」ということなのに(系列キー局をもたない)東京新聞以外は報道もしない。 メディアは一般に思われているほど、特定の政治的立場に片寄った報道はしない。百田氏の発言は事実であり、新聞はそれを歪曲したわけでもなく、記事の本文で「右翼的偏向だ」ともいわない。そういう論評は外部の(そのメディアの見解に好意的な)「識者」にコメントさせるので、一つの記事だけ読むと中立に見える。 問題は「広告料よりテレビの電波独占が最大の問題だ」という百田氏の発言を、新聞が無視したことだ。ここでは読者にとって問題は最初から存在しないので、いわば暗黙の言論統制が行なわれている。どういう問題を大きく扱うかで、読者の印象はほとんど決まってしまうのだ。 これをメディア論でアジェンダ設定と呼ぶ。アジェンダとは議題などと訳すが、問題の大前提で、メディアは自分に都合のいいアジェンダだけを報道することによって人々を誘導するのだ。 |
たとえばアメリカではリベラル系メディアは人種差別を多く取り上げ、保守系メディアは税金の無駄づかいを取り上げる。 このようなアジェンダ設定のバイアスは、政治家にも影響を与える。特に日本の野党はマスコミ以外に情報源がないので、新聞が「言論統制はけしからん」といった記事を1面トップで報道すると、それを国会で追及し、これを新聞が大きく取り上げる...というループに入り、マスコミの取り上げないアジェンダは無視されてしまうのだ。 おかげで、わかりやすく派手な見出しの立つ憲法問題や原発問題は国会でもメディアでも取り上げられるが、むずかしい安全保障やエネルギー政策はアジェンダから除外され、政治家も国民もほとんど知らない。このため国会審議は中身のない憲法論争に終始し、政治家の失言を追及する「劇場政治」になる。 これは商業メディアの営業政策としては、やむをえない面もある。 |
インターネットの影響力はまだ弱いが、マスコミがこうして排除してきたアジェンダを取り上げるところに意味がある。そしてこういう情報は、SNSやスマートフォンなどで若い世代には瞬時に伝わる。紙の新聞しか読んでいない政治家は、そのうち彼らに見捨てられるだろう。 http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2015/07/post-938.php |