ニュース表@ふたば保管庫 [戻る]
こちらは事件の本場というだけあるが、関心のもたれ方が首都圏以上だったようである。堂々と「ランキング1位」の座で表示されながら、売り切れている書店が、京都駅、大阪駅周辺、西宮北口で観察された。「観察された」というのは、仕事で移動した先々で、いちおう入手してみようとして、書店を探してみたからである。阪急梅田の巨大書店や、大阪駅をつなぐターミナル途中の書店で、「売り切れ」表示を見た。 さすがに憚られたが、西宮北口の大手書店では、書店員に尋ねてみたところ、残り三冊が取り置きで売り切れたばかりということだった。これは先週までのシチュエーションなので、また違う状況になっているだろう。ただし、Amazonをのぞいて。結局、いつもどおり、Amazonでクリックした。プライム契約を結んでいるので、何事もなく、他の書籍とともに、翌日には届けられた。拍子抜けするほどに普通に。 被害者感情は察するにあまりあるものである。個人の主観でいえば、仕事でなければ、このような書籍は手に取りたいと思わないし、入手しなかっただろう。 |
同じく、個人的には、できれば多くの人の目に止まらないまま、早急に絶版になり、誰の目にも触れない図書館の書庫の奥にしまわれてしかるべきと思う。 このような書籍を遺族の了解もとらないままに、出版する出版社の良識も十分に疑うべきものである。だが、たとえ、この出版社が扱わなかったとしても、十分話題性のある人物である。どうせどこか他の出版社が手がけたであろう。 前半には極めて残虐な描写がありながら(このケースは、この設定で出版される以上フィクションとはいえまい)、後半以後平板な更正譚に落ち着く、いささか不自然で奇妙な構成と内容について詳しく論評する気はおきない。 とはいえ、それでも、このような書籍でさえも、内容によって規制されるべきかと問われれば、疑問を呈すほかないのかもしれない。 |
そもそも「書籍」というパッケージについて規制することはできたとして、たとえばネットで、全文を公開してしまえば、その行為を取り締まることは極めて困難だからである。信ぴょう性はさておき、話題になり、そのうちマスメディアが取り上げたことだろう。 研究者やジャーナリスト、政策担当者などが何らかの理由で資料を必要とすることもありえるかもしれない。結局、規制の強化は労多くして(というか、実害が多い一方で)、実りが少ないのではないか。いざ、誰かが本気で情報にアクセスしようとすれば、その断片には辿り着くことができてしまう。流通の変化はアクセスできる範囲を格段に広げている。 社会のなかで、できれば規制強化に頼らず、社会の良識と、それを受けた市場のちからで、速やかに淘汰され、実質的にふつうの人が本書にアクセスしなくて済む時期が来ることを望む。それほどに、専門家をのぞいて、意図しない接触が起きないことを望むに十分な内容の書籍であると思う。 http://japan-indepth.jp/?p=19436 |