安全保障法制をめぐ - ニュース表@ふたば保管庫

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政治家は自分の言葉で語れ 論説委員長・石井聡

 安全保障法制をめぐる国会審議で、憲法学者に加えて内閣法制局長官経験者の「活躍」が目立つ。

 わかりづらい関連法案の審議を進めるうえで、専門家の意見に耳を傾けることは否定しない。だが、「○○参考人がこう言ったから」と、その発言を法案の是非に直結させようとする政党や政治家の言動には、違和感を覚えざるを得ない。

 国民の平和と安全がかかっている課題である。政治家はもっと自らの頭で考え、語るべきではないか。

 とりわけ、反対派議員がわが意を得たりとばかりに快哉(かいさい)を叫んでいるのは、元内閣法制局長官らが相次いで集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更に異論を唱えたことだ。

 歴代内閣が集団的自衛権の行使を長く認めてこなかったのは、その議論を持ち出せば、中国などを刺激し、国会での激しい論戦を引き起こす懸念が大きかったからだ。「放っておくに限る」という政策判断のなせるわざだったともいえる。

 「法の番人」などと呼ばれた内閣法制局長官は文字通り、政府の中、政府側の人間である。一義的には政権が下した判断の下で、行使を認めない論拠を語ってきたのだろう。

 その答弁の積み重ねが、憲法解釈に重みを与え、変えてはならないものになったという見方もある。だが、それを認めてしまえば、政権を構成する政党、政治家の責任放棄につながりかねない。

 皮肉なことに、内閣法制局長官の答弁禁止という方向性を打ち出したのは、自民党ではなく民主党代表も務めた小沢一郎氏らだ。

 答弁禁止の法制化は見送られたが、民主党は政権当時、法令解釈担当相を置いた。担当相を務めた民主党の枝野幸男幹事長は、内閣法制局長官は政治家が務めるべきだというのが持論だという。

 過去の法制局見解をひもとき、OBに語らせることは、憲法解釈の一考察にはなっても、真に日本の安全を守り抜く議論の主眼ではない。

http://www.sankei.com/column/news/150630/clm1506300010-n1.html