陸自のメシが駄目な理 - 軍裏@ふたば保管庫

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陸自のメシが駄目な理由は
作り手が数年ごとに変わって
技術の積み重ねが無いかららしい。
海自と空自はメシ作りはずっとメシ作りなんだそうな。

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どの隊でも
年度末になると予算消化のために豪華なメシが増えるんだそうな。

何年前の話をしてんだか。
陸自食堂は民間委託になってるぞ。

それだ。
なぜ民間委託にしたのか?
危ないじゃないか。

昔は陸士とかにつくらせてたけど幹部食堂の飯に唾入れたりヤバかったらしい

陸と空の飯しか食ったことないけど場所によるとしか
熊○や百○なんて酷いし

護衛艦の士官室で出る急須の中に錆びた十円玉は基本

あと、カレーにピカール。ふりかけにカリカリに焼いたアブラムシとかきいたことある

>なぜ民間委託にしたのか?
>危ないじゃないか。

外部委託のほうが安全。
不祥事などがあれば速攻で切れるから。
中の人だと、しがらみなどがあって迅速な処置ができない場合が多い。

>なぜ民間委託にしたのか?
>危ないじゃないか。

空挺団の落下傘の修理補修も民間委託だぞ。
基地駐屯地の正門の歩哨も民間委託してるとこあるぞ。
民間委託に何を拒絶してるか知らんが。

>急須の中に錆びた十円玉は基本
あと、カレーにピカール。ふりかけにカリカリに焼いたアブラムシとかきいたことある

意味が知りたい

銅につく緑青は有毒と言われてた
実際はさほど害はないけど「猛毒だと言われてたものを混入」されるのは気分悪いだろ
そもそも硬貨は手垢とかたまってて汚いから普通に汚物混入系の嫌がらせだろう

自前より外部委託の方が安く済むからねえ
T-7の整備なんかも富士重に委託してるし
当然ながら自己完結性の面ではよろしくないからメリットばかりでもないけど

もういっその事隊員全員営外居住にしたらいいのに
基地周辺の経済が一気に活性化するで
特に田舎

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最終的には自衛隊民営化にな(


皆営外者になっちゃうと最悪もぬけの殻になっちゃうし(笑)

>もういっその事隊員全員営外居住にしたらいいのに
それなんて輝号計画?

もう時効だと思うから言う
JR四谷駅の近くにあるJ隊だが
その昔みそ汁にチャバネが混入する事態が
しばしばあった(もちろん事故である)
高温のスチーム釜なので
一瞬で手足がバラバラになり
みそ汁の具材と変貌しておった
日常茶飯事となっていたせいか
糧食班の班長は平気な顔して味見しとった

そ族昆虫の駆除って大原則だけど陸はそんなこともできないの?

昔の自衛隊なんてチンピラや知的障害一歩手前みたいなのたくさんいたからなあ
言っちゃ悪いが出来悪い奴は給養にでもぶち込んどけみたいな風潮もあったし

>昔の自衛隊なんてチンピラや知的障害一歩手前みたいなのたくさんいたからなあ
そう言う人の受け皿として自衛隊は良かったのかもとふと思った
過去形ってことは今そう言う人はあまり居ないんだよね
どこに流れて行ったんだろう

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>JR四谷駅の近くにあるJ隊
それアレが100mの時代かそれとも200mになって以降の話かいずれかで俺の体内構成要素が変わる…

>過去形ってことは今そう言う人はあまり居ないんだよね
>どこに流れて行ったんだろう

順調にヒッキー&ニートが増えてるじゃないか

>最終的には自衛隊民営化にな(

画像の看板なんて書いてあるの?
ぜんざいと寿司くらいはなんとなくわかるんだけど。


厨房がワタミやすきやになって空てい部隊より過酷な日常を・・・・

>最終的には自衛隊民営化にな(
それなんてハミングバー…古いか

>厨房がワタミやすきやになって空てい部隊より過酷な日常を・・・・
年末の早朝のすき家はワンオペでしかも中国人の女の子バイトだった
片言、徹夜明けのささくれた客層、溜まる洗い物、大きな音とともに出される牛丼 
人は地獄を作れる…

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>画像の看板なんて書いてあるの?
右から大福団子と来て恐らく鳥居の絵は稲荷の洒落として稲荷ずし汁粉というメニューだと思われますw今なら差し詰めコンビニに立ち寄る自衛隊員の方々、ってところでしょかね因みに余談ですが戦前にも陸軍のメシマズは深刻な問題になったことが有りましてその原因としては「海軍は炊事の専門兵を置き、兵食調理を専掌していたが、陸軍の兵食調理は全くズブの素人の集まりである。従って折角良質の材料を与えても、調理の段階において低落してしまう」と言うことがあったそうでして実際陸軍経理学校や各師団を回って調理技術を講義したある料理学校校長先生が「軍隊糧食調理法(1920年)」の中で

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「炊爨調理に従事せらるる人々の内には、軍隊式などと名付けて、材料を適度
以外の切り方と為し、又は調味品の配合や煮熟法等に注意を為さざる習慣的作業を為すの士あるを認るは実に憂うべき事実である」と批判してたりします例えるならたまの休日、一家の御主人がよーし、今日はパパが男メシ作っちゃうぞぉ!と張り切ったのはいいけれどやりつけない作業を勘と目分量とテキトーにこなした結果空腹を抱えて散々待たされた食卓の上に並ぶビミョーな味の料理(のようなもの)段取りを無視した作業の結果ジゴクの惨状を呈した台所、その後片付けの手間を考えてもはや怒り心頭のおかーさん、慣れない作業に疲労困憊した上賞賛も貰えず逆切れして不機嫌に黙り込むおとーさん、そして気まずい雰囲気の食卓で両者の板挟みになるお子さんたちという家庭に有りがちな悲劇、みたいなもんでしょうか(棒

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尤もその後は調理技術改善のための講習会の開催や調理専務兵制度の採用、
メニューの改善等も進んで昭和期の兵食も後半はずいぶんマシになったそうでただかの石原莞爾サンが歩兵第4連隊長だった時、兵士の間からは「(うちの連隊の飯は)量は多いがマズい」と苦情が出て「不味いのは認めるがカロリーは十分、軍隊は料理屋に非ず」と言う主計責任者と対立していたのを石原連隊長が「不味いのは調理が下手だからだ、コックを雇おう」と裁断して軍属として民間料理人を雇うことで解決したなんて話が残っておるそうですいつの時代もまあ、似たような問題が付いて回るって事なんでしょかねw

>年末の早朝のすき家はワンオペで

キャナルシティの近くの○屋が似た雰囲気になってた
ツーオペだったんだが厨房のほうの一人が
中国人の女の子バイトを半ばキレ気味に注意しながら
注文された牛飯等を出してたよ。
あそこは立地からして客多そうだからなあ。

料理を不味くしか作れない奴は弾除けか、あるいは事故か行方不明にされるのか

日本も内戦はかなりの歴史があったのに、陸軍のメシマズは・・・・
太平の御代の江戸時代でノウハウが失われたと考えていいのやら。
朝鮮半島の極寒や東南アジアのジャングルとか、
食糧事情の差異はあれど、こんなに取り沙汰されるのは
今までと違って兵卒が文筆に携われる社会的余裕や、
それほどまでに新時代の軍隊生活がストレスが大きい物だったんだろうな

玄米と粗塩と菜っ葉と味噌だけであらゆるビタミンとミネラルが取れる!
帝国軍人たるもの山に篭る修行僧と同じ一日一食一汁一菜で十分である!

・・・とか言い出す無茶苦茶な偉い人は居なかったの?
戦時戦場はともかく平時や後方ではありそうな?

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>・・・とか言い出す無茶苦茶な偉い人は居なかったの?
そんなやついるわけないじゃないか。仮にも亜細亜一の文明国だぞ?

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>・・・とか言い出す無茶苦茶な偉い人は居なかったの?
そんなやついるわけないじゃないか。

>玄米と粗塩と菜っ葉と味噌だけであらゆるビタミンとミネラルが取れる!

実際摂れるんですかね?

>実際摂れるんですかね?
精製していない米や塩はかなりカバーしているらしいが
慣れない人が急にやっても有効に吸収できない
断食道場とかの詳しい人の指導が必須らしい

日本軍だって戦地に送る物資の中にビタミン剤や乾燥野菜
入れてた資料有るから気にはしていた。しかし容赦無い
補給線叩きの前にほぼ海の藻屑

日本陸軍の糧食の研究は世界でもトップクラスだった。
圧しゅく口糧、原始的なフリーズドライパン、ビタミン添加キャラメルとか
かなり進化してた。
ただ問題は南方戦線は考慮してなく、その上輸送が間に合わなかった。

>そんなやついるわけないじゃないか。
うわああああ

またIP被ってるわw

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>・・・とか言い出す無茶苦茶な偉い人は居なかったの?
日本陸軍の食生活改善に大きな働きを果たした丸本彰造さんという主計将校さんがおられるんですが、この方が1923年の「陸軍主計団記事」で当時陸軍内にはびこっていた「梅干し主義」を批判してたりするんですがこの「梅干し主義」なるものは何かと言いますと「『何でも腹一杯に食えばよい。品物は何でも構わぬ。料理法なんてどうでもよい。野戦的(略)にやればよい。食事の事に顧慮するのは愚の骨頂だ、前へ前へだ。過去戦勝は梅干しの握り飯で勝ったのだ』と唱えるもの」…だったそうでして丸本さんも恐らくは散々こういう非科学的な(実際の戦史に照らしても不適当な)考えに基く抵抗を受けたのであろう事も察せられますな

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ただ逆に言えば先述の例のように、こういう旧弊を払って兵食を改善しようという
不断の努力を続けた方々も陸軍内には常におられたわけで例えば1929年に岡山の連隊に入営した棟田博さんなんかは著書「陸軍いちぜんめし物語」の中で『母が面会に来てくれて、どんなものを食べているのか案じているというので、家よりは御馳走を食べているというと、信じられない顔つきをしたが、事実、あの時代の一般家庭の食事に比べるとたしかに当時の軍隊の食事は上等であり、御馳走の名にふさわしいもんだったと思う」なんて書き残しておりまして、この頃にはもう随分と兵食の改善が進んだことを窺わせてたりします「戦闘機○○を設計した」とか「○○式●●砲を開発した」とかある意味分かりやすい功績に比べてたらよほど記録には残りづらいですけれど軍隊の戦力向上に貢献した、と言う意味なら「梅干し主義」打破に働いた無名の方々の功績ってのも、かなり大事なものだった気がしますなあ…w

基地内の厨房で調理する場合はともかく野戦となると
海軍は厨房ごと移動するし食料庫も完備
陸軍は車両に分乗して移動し現地で設営
作る側にしてみれば海軍のほうがずっと恵まれている気はします

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これも海軍の要請で開発されたもの


>右から
>大福
>団子と来て
>恐らく鳥居の絵は稲荷の洒落として稲荷ずし
>汁粉というメニューだと思われますw
>今なら差し詰めコンビニに立ち寄る自衛隊員の方々、ってところでしょかね

ぜんざいじゃなくて団子だったのか。
ありがとうございました。

シェフ村上信夫氏の帝国ホテル料理物語によると
中国戦線でも村上氏の料理の腕前は前線の士気を維持するのに覆いに活用されたらしい