韓国経済@ふたば保管庫 [戻る]
帝国主義の収奪が最高潮に達した1910年代を、西洋人は「ベル・エポック(良い時代)」と呼ぶ。私たちにとってその時代は暗鬱 だった日帝統治下に入る地獄の戸口だった。だから当初から科学を眺めている西洋と私たちの間には、渡ることのできない深い 谷間が存在していた。 『ニュートンの無情な世界』は、私たちの視点から科学史を再構成する。ニュートン・ダーウィン・エジソン・アインシュタインなど西洋 の近代科学で革命的な発展を成し遂げた人物の成功と、近代韓国の風景を重ねる。イ・グァンス、ヨム・サンソプ、パク・テウォン、 イ・サンら当時の日帝統治下で耐えた知識人が、西洋文明を眺めながら抱いた自己恥辱感の入り混じった告白は切々としている。 これと共に、西洋の近代科学が成し遂げた主な成功がどんな背景から出たものなのかも細やかに解き明かしていく。 著者は「科学は空から落ちてきたものではなく、欧州の歴史と社会の中から生産された知識」と話す。 |
著者は「日の沈まない帝国」 を建設するために中枢的な役割を果たした西欧科学の文明は、きちんきちんと積み上げられた土台の上で可能だったという事実 を細かく論証する。数学の実力は思わしくなかったが同僚科学者の支援で電磁気場を発見したファラデーや、米国産業の発展を 背負ったエジソンの成功談は、科学の発展がインフラにどれほど大きく依存しているのかを物語る。 日本の科学の発展も、西欧の後を追っていち早く固めた土壌の上で可能だった。アジア帝国を熱望した日本は、軍需産業の発展 のために科学研究に拍車を加えた。人的ネットワークが不足していたためにアインシュタイン・ボーア・ハイゼンベルクなど当代最高 の科学者を日本に招いた。同時に数多くの若い科学者を世界の有数の研究機関に送った。このような努力は1949年に湯川秀樹 が日本で初めてノーベル物理学賞を受賞する成果としてあらわれた。 |
一方、科学文明を夢見た日帝の朝鮮人らの努力は凄惨に踏みにじられた。日帝は朝鮮人の科学技術教育と高等教育を徹底的に 押さえ込んだ。日帝時代に科学教育に努めたキム・ヨングァンは日帝の弾圧の中で獄中生活を経験した後、寂しい余生を送った。 1946年、日本物理学会創立当時の登録会員数は2293人である一方、解放前に物理学論文を発表した朝鮮人は4人に過ぎな かった。科学は少なくとも朝鮮人にとっては、無情な存在だった。 ソース:中央日報 2014年12月25日14時20分 http://japanese.joins.com/article/504/194504.html?servcode=400§code=440 本『ニュートンの無情な世界』 http://japanese.joins.com/upload/images/2014/12/20141225142030-1.jpg |
どれもこれも人のせい… 日本の科学の土壌には鎖国や禁書令にもめげず、幕府の目を掻い潜り研究し続けた蘭学者たちがいたからで、状況としては日本の蘭学者のほうが過酷だったんだから言い訳にならんだろ |
戦後70年も経ってるのにw? てか、いつまでもノーベル賞に固執してる時点で永遠に進展しないのにいい加減気づけ |
>戦後70年も経ってるのにw? 70年たてばほとんど人の一生。 日帝から解放された韓国人は一生の間にまともな研究ができないことがこれで証明された。 未来永劫これが続く。 |