野球@ふたば保管庫 [戻る]
パの球場は閑古鳥が泣いていたので せめて色を明るく…という訳ではなくいわゆるニット生地の化繊系で伸縮性、耐久性に優れたものが出てきて発色豊かな染色が可能になったのが大きい(もちろんカラーテレビの普及も)昭和30年代のユニフォームとか綿だからゴワゴワでしょ当時「野球狂の詩」で「メジャーでは皆ベルトレスだぜ!」っていうセリフがあったな |
当時のビジター用はブルーばかりでグレーが一時絶滅 大洋・南海・太平洋がチームカラーのビジターユニフォーム |
そしてこの迷走を打破したのは堤義明率いる西武ライオンズでした。 |
>今でいう、暗めの色使ったり、クラシック系だったりみないな 当時のミニヘルキャップもカラフルだもんねえ |
ユニフォームのカラーって、何となく景気も反映している感じもするな。 |
>そしてこの迷走を打破したのは堤義明率いる西武ライオンズでした。 だってそれまでの野球チームの親会社ってキーカラーを持っているところが極端に少ないんだもの電鉄チーム会社ならともかくとしてハムやクラウンライターなんて色らしい色が無いからねぇ西武はその点、発足時から「あ、プリンスホテルの色だ」って直ぐに分かった(画像は「ハム色」と揶揄された80年代のファイターズ。アストロズモチーフ?) |
合掌 |
プルオーバー&ベルトレス復活しないかなぁ ボタン&ベルトとかスポーツではあり得んでしょ |
ボタンを一つ一つ掛けながら徐々に気合いを高めていくものだったしベルトをグッと締めると腹に力が入ったものだけど…。 Tシャツタイプにベルト無しってのはどうもね…。 |
どうして南海電車は球団手放しちゃったかなぁ…。 電車屋さんには野球がエンターテインメント事業としてとらえられなかったのかな。 |
>どうして南海電車は球団手放しちゃったかなぁ…。 1988年(昭63) 名物オーナー死去「オレの目の黒いうちはホークスは売らん」 http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_april/KFullNormal20080413208.html 当時の入場者実数を考えたらよく我慢したと思うな 同年には阪急も手放してるし西鉄、近鉄と前後も身売りしてるでしょ |
大阪球場の立地の良さは異常 大都市のターミナル駅直結で一階は古本屋と卓球場(これは関係ない) これで集客伸びなかったんだったらまぁしょうが無いよね |
>合掌 畠山準か 大洋で4番を打ったこともあったな |
スレ画がカッコいいと思う時代があった訳か なんという豊かな感性 |
阪急と西鉄と近鉄それぞれ球団を手放した理由が違うけど。 阪急…先代は「ブレーブスと宝塚は絶対に手放すな」と言い残して死んだのに跡を継いだ娘婿は野球に全く興味がなかった。 西鉄…八百屋事件で博多人から愛想を尽かされ客激減 近鉄…本社肝いりで始めたテーマパークの赤字補填 |
いやいや スレ画のユニは当時でも なんじゃこりゃーと言われてました ただ当時のライオンズは地元以外ほぼ露出がなく さしたる話題にもなりませんでした |
>どうして南海電車は球団手放しちゃったかなぁ…。 でも南海時代の選手の待遇の酷さの話を聞くと ダイエーに売られて正解だったんじゃないの?って思う |
>阪急と西鉄と近鉄それぞれ球団を手放した理由が違うけど >電車屋さんには野球がエンターテインメント事業としてとらえられなかったのかな。 理由は問題にしてなかったんでね |
>大阪球場の立地の良さは異常 甲子園みたいに「野球を見に行くのに自社の電車を」ってイメージで、 もし本拠地球場が中百舌鳥だったら…とは思うがやっぱりムリだろうな。 |
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初めて来た大阪城の付近をウロウロしてて 大都会の真ん中にコンクリートの土手みたいなのがあって なんだよこれと思ったら 日生球場だった・・ |
かの演歌歌手前川清も近鉄ファンだったとは |
>>大阪球場の立地の良さは異常 禿個人への好き嫌いはひとまず置いといてあの立地でSBがどんな球団運営をしたであろうかはみてみたい気はする。 |