料理@ふたば保管庫 [戻る]
>平安の初期、料理通であった光孝天皇が四条中納言、藤原山蔭に命じて料理作法(庖丁式)の新式を定めた。 当時、遣唐使を通じて唐の食習慣・調理法が日本にもたらされ、これが日本風に消化されたものを故実という形で藤原山蔭がまとめあげた。山蔭は初めて食物を調理・調味づけた始祖であり、包丁の神、料理の祖神ともいわれ、日本料理中興の祖といわれる所以である。 |
大雨だったか日照りだったか、天気を回復するために 生贄として人間の首を供える習慣があった地域ここを訪れた諸葛亮孔明「これはいかん」と、小麦粉を練った生地に家畜の肉を入れて蒸したものを生贄の代わりにささげるように指導したというのが饅頭の起源の一説ですって |
鯉こくは乳の出を良くするからのう |
鯉は乳の出を良くする、という言い伝え(タンパク源の少ない昔は本当にそうだったのだろう)があって、今も妊婦さんに鯉のおみやげというのはよくあるらしい。 ただ生きた鯉は相当に凶暴で手強く捌くのに格闘戦となり 危うく流産しかけたなんて話も… |
山うなぎ=山芋は料理? 「鰻が産卵のため山を上って、あの姿に」という伝説 河童と蓼汁 「治水(・日照り・農業諸説あり)を手伝ってくれた河童にいじわるして苦手な蓼汁を与えて洪水 に、それ以来現れない」 |
芋粥 芥川か今昔かで趣味が分かれる。 |
戦国物ゲームにハマっていた頃、明智光秀が宴席に出したと言う鮒鮨を食べて… 酒飲みで珍味関係はだいたいOKな私ですが あれだけは口に入れた瞬間に体が拒絶しました 買ってきた友人いわく、かなり高価な上物との事だったけど ごめんなさいとしか言いようがない |
福井の謎の食風習 ・天神講(1月25日)の焼きカレイ (菅公がカレイ好き&松平の殿様が奨励?)・半夏生の焼きサバ (大野藩主の金森長近?が農民の栄養補給に推奨)・ソースカツ丼 (ソースカツ丼開発者が福井出身&帰郷して布教?) |
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>福井の謎の食風習 ・冬にコタツで水ようかん これの所以は? |
冬じゃないけど日光だとお節に水羊羹はいってる 他のじゃ入ってないらしく何時も驚かれる |
>・冬にコタツで水ようかん 福井を中心とした奇習だけど「誰が」みたいなはっきりした由来が 判らないのよね |
元々、水羊羹は寒い時期に作られる冬の物だった。 水羊羹が夏の風物詩になったのは、冷蔵技術が発達してから。 |
冬は江川の水羊羹をよく食べていたけど 一時期、食べたのを吐き出すほど不味くなったため 買わなくなったわ。 |
フト思ったけど羊羹ってのはもともとは羊肉の煮こごりよね 上で諸葛孔明の饅頭のエピソードがあるけどこれももともとは肉詰めだったのが小豆あんに変わってる魔改造なんてモンじゃねーなw画像は明治天皇ゆかりのパン |
別に変わってないですけど |
>>福井の謎の食風習 >・冬にコタツで水ようかん >これの所以は? 北海道の冬は暖かい部屋でTシャツでアイスを食うのが定番。 理由は知らないけど、その昔、内地の飲食店では夏しか生ビールが飲めなかったけど、北海道は年中生ビールが飲めた。 |
>フト思ったけど羊羹ってのはもともとは羊肉の煮こごりよね 羊の羹(ひつじのあつもの) 羹ってのは「熱物」で、肉や野菜を入れた熱い吸い物の事 これが日本に入って精進料理として作られたのが羊肉の変わりに小豆の入った羊羹(羊の羹) やがてこれを甘く味付けして小麦粉や葛粉を加えて蒸したものが蒸し羊羹 現在の羊羹のご先祖様であります |
江川の水羊羹は所詮大量生産品 小さな菓子屋が作ってるやつが良いと知人 オレは餡がだめで喰わない 水ようかんのニュースで冬だなと 焼き鯖や小浜のくずあんで夏だなと |
>>「今治の鯛めし」 地元だがこんな逸話聞いた事ない ただの漁師めしだよありゃ |
>今治の鯛めし それを名物にしたいお店の創作ってのはいくらもあるよね |