どちらにしろ武家株は - 二次元ネタ@ふたば保管庫

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どちらにしろ武家株は買う予定だったのだが、計算違いは幕臣である御家人株ではなく陪臣の藩士株と言うところだろうか。しかし、どちらにしろ解雇直前の藩士株だけに価格は御家人株の三分の一であったし、それ以上に幼子を放っておくわけにもいかなかった。元常は二つ返事で承諾し、御家人株の証書と幼子を自宅に持ち帰ったのである。

勢いのまま幼子だった沖田を貰ってきてしまった林太郎だったが、林太郎以上に幼子を喜んだのは妻と二人の娘達であった。死亡率が高い江戸時代、身よりのなくなった子や捨て子を育てるのは普通であったし、役所からそこそこの手当も出る。中にはその手当を目当てに捨て子を拾い、手当を貰った後でむごい目に遭わせるという事件もあったが、井上家改め沖田家ではそのようなことは一切無かった。
だが、いつの時代にも心ない人間はいるものである。その筆頭が元常の兄であり、林太郎の父親である宗蔵であった。http://peridotcrow.blog71.fc2.com/?mode=m&no=92

2.江戸時代初期までは農民階級・商人階級に属していたが、何かしらの理由で上記と同じ身分を与えられた者。 1.大名家に対しての献金や新田開発の褒美として郷士に取り立てられた者。1に近い地位を持ちながら、郷士身分の範疇から漏れていた者が後から取り立てられたという側面が強い。
2.売却されていた士分株の内、「郷士株」を購入して身分を買い上げたもの。純粋に太平の世で身を立てて、その栄達として立身した者が多い。著名な郷士である坂本龍馬も祖先である豪商の坂本直益が土佐藩より郷士株を購入、曽祖父の代から郷士身分を得ている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB#.E5.88.86.E9.A1.9E

大名株という言い方があるのか それもまた疑問ですが

養子というものは 後を継ぎものがいないから 養子を取るのではなく

持参金目当てで 殿様の弟がいながら、他家から養子を取るという、

渡辺崋山の主家のような例もあります。これについては どのへんがこの決定を下したかについてはわかりませんが、家老たちがこういう決定をくだし
主君に呑ませるのだろうかという気がします。
坂本竜馬の家も元からの郷士ではなく、郷士の株を買ったような家であります。
たしか 吉田東洋のご先祖は 長曽我部の家臣だったような気がしますが
勝海舟の家は、新潟の検校の家の出です。
http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/200503180000/

不倫が多かった

 武家は命令婚であり、結婚するまで互いのことをまったく知らないこともあり愛情が薄い。国許か江戸で結婚した藩士が異勤を命じられると長い間会えない事情もあり不倫が多かった。
 不倫は「姦通罪」という犯罪行為であるが武家の場合は公儀に訴え公にすることは「御家の恥」を世間に公にすることを意味する。公になれば当主の「家内不取締」が理由で出世に響き、家禄の減俸を命じれれることもあり金など内々で解決することが多く「気軽」に不倫が横行した。「首代七両二分」という不倫の相場の俗語まで生まれた。

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○意外と誰とでも結婚できた 武家諸法度によると結婚できるのはお互いの家の家格が離れすぎていないこととなっている。家禄にして二倍以内が順当のようだ。出世目当てで低禄の家が娘を主や重役の妻に差し出し縁戚として権勢を振るうと政治が乱れる原因になると考えたのだろう。  ただ、武家以外の身分の娘や家格が離れている家の娘を妻にした場合は夫側の家と家格が釣り合う家の養女という形で嫁入りさせた。武家諸法度の抜け道を利用すれば表向きは身分違いの恋も案外この方法で成就させられたようである。

井上大助は、新選組六番隊組長、井上源三郎の親戚筋にあたる。
 その縁で、江戸の試衛館道場によく顔を見せていた。

 源三郎の家は八王子千人同心を出している家だが、大助の家は江戸の商家で同心株を買い武家に成りあがったらしい。

 同心の中でも廻り方と呼ばれる部署は犯罪者と接するため、ほかの役人から「不浄役人」と蔑まれているが、黒の着流しが粋で町人からはけっこう人気があった。http://ncode.syosetu.com/n8004bm/46/

黒田藩の銃士出身で有名な方は、明治維新後の明治憲法の制定に加わり、司法大臣など大臣を歴任し、その後今日の日本大学の前身の日本法律学校や二松学舎を作った金子堅太郎(1855〜1942)がいます。金子の家は↑で記したようなお金で銃士組の株を手に入れた口で4人扶持12石で卒分(後に永代士分となる)でした。この金子堅太郎をWIKIなどで調べればあなたのご先祖の御同輩ですから、どんな生活や仕事をされたかわかると思います。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157377676

日本を代表するナショナルフラッグが日本航空(JAL)から全日本空輸(ANA)に代わった舞台裏が憶測を呼んでいる。

 政府は'19年度から運航する政府専用機に米ボーイング社の『B777-300ER』を選定、機体の整備運航をANAホールディングスに委託する。現在の『B747-400』はJALが担当しており、航空関係者は「ANAがナショナルフラッグの地位をJALから奪取した」と囃し立てる。政府専用機は首相のみならず、皇室の海外訪問に使用されるなど文字通り“日の丸専用機”なのだ。

 政府は両社の提案書を検討した結果、「ANAの提案がJALを凌駕した」と説明する。しかし、この公式発表を額面通りに受け取る向きは皆無に等しい。経営破綻したJALの再生は民主党政権下の数少ない成功事例。そのため、政権を奪回した自民党には「JALと民主党にひと泡吹かせたいとの敵愾心がある」と情報筋は打ち明ける。

この期に及んでのJAL再生の検証は何が狙いなのか。実は安倍首相自身、「JALへの公的支援には多くの課題と問題があると認識している」と述べるなど以前から“ファイティングポーズ”を見せてきた。羽田空港の発着枠割り当てでANAが優遇されたのも、その脈絡で捉えると極めてわかりやすい。
 「JALは再上場の直前、稲盛和夫名誉会長の出身母体の京セラなど8社に第三者割当増資を実施したのですが、一部には『第2のリクルート事件じゃないのか』と指摘する声が聞かれた。安倍政権が当時の再生支援を詳細に検証するのは、刑事事件として立件し、何としても血祭りにあげたいとの政治的野心の表れです」(司法関係者)

 だからこそJALの“日の丸専用機”外しを急いだのか。http://wjn.jp/article/detail/8000598/

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「阿弓川あゆみがわ庄百姓等仮名言上書」という連判状?阿弓川庄(現和歌山県有田郡清水町)の百姓らが地頭の湯浅氏の非法を訴えたもの。片仮名の普及を示す資料。見方では、荘園領主側が百姓たちを指導して書かせたとも、見方があるらしい。
 漢字が書けないから、そのころカナが普及して、カナ書きならできる程度の教養が備わっている証拠になるのだという。

『阿弖あて河荘上村百姓等(ら)言上状』は、今まで、高校の歴史の教科書で見た記憶はったが、現物を見たのは始めてだった。

“あて河荘”は、和歌山県(紀伊国)の有田川上流にある荘園で、そこの農民たちは、年貢米(現代でいうと、所得税)を収めた上に臨時賦課(不動産税、都市計画税+消費税)として、絹と真綿、材木などを納めていた。
 阿弖河の農民たちは、1275(建治元)年(蒙古襲来の直後)、新任の地頭湯浅宗親の横暴を荘園領主に訴え出ました。

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「ミミヲキリ、ハナヲソキ」という暴力を振るう“地頭”も、荘民を餓死させ妊婦を連れ去る“荘官”も、農民にとってはまったく同じ過酷な支配者だった。
 この“地頭”と“荘官”の対立を利用して、農民たちは自分達の生活には、地頭と荘官のどちらにつくのが有利なのか、見極めて訴状を書いている。 当時、荘園領主が派遣した従蓮(荘官)は、(鎌倉将軍)北条氏に近い人物であり、彼を荘官に推挙したのは、六波羅の引付(ひきつけ)奉行人の斉藤唯浄(ゆいじょう)である。 その事情から、農民たちは、地頭よりも(将軍に近い)荘官の側につく方が有利であると判断し、荘園領主に「地頭の非法」を告発した言上状を完成させた、と考えられる。 http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/nozawa22-new--5.html

斎藤唯浄 【さいとう・ゆいじょう】

2件の用語解説(斎藤唯浄で検索)
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朝日日本歴史人物事典の解説.
生年: 生没年不詳
鎌倉後期の六波羅奉行人,式目注釈学者。基高の子。本名基治,のち基氏。出家して法名を唯浄と称した。永仁〜正安(1293〜1301)ごろに六波羅奉行人として史料に見え,紀伊国阿弖河庄(和歌山県有田郡)の領家・地頭間相論に際しては,六波羅訴訟手続に関する領家方の諮問に応えている。また,朝廷周辺の学者との交流のなかで式目注釈学に携わり,いわゆる斎藤家系学派の祖として,現存最古の式目注釈書である『唯浄裏書』を著し,のちの式目注釈学に大きな影響を与えた。『関東御式目』も唯浄の著とする説もある http://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%94%AF%E6%B5%84

 源氏将軍が廃絶となり、北条氏を中心とした執権・連署・評ひょう定じょう衆しゅうの合議制により幕府政治が運営されるようになると、訴訟制度も変化する。御家人を当事者とする訴訟と、諸国の雑人(侍身分ではない者で凡ぼん下げ甲
こう乙おつ人にんとも称される)・非御家人を当事者とする訴訟は問注所が、鎌倉市中の雑人と非御家人を当事者とする訴訟は政まん所どころが管轄することとなった。政所・問注所には、
それぞれ問注奉行人が配属されて、訴状など書面の審理と当事者の尋問などを担当した。その結果は評定衆の会議に上げられて判決が確定された。
 

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引付は三番編成(後に五番編成となる)で、各番は1人の頭
とう人にん(責任者)と4〜5人の評定衆・引付衆、さらに4〜5人の引付奉行で構成され、従来は問注所が担っていた御家人を当事者とする訴訟を担当することとなった。

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引付訴訟の手順は、まず訴状が問注所に提出され、ついで引付に回されて担当の引付奉行が決定される。審理は最初に、三問三答とよばれ、3回にわたる訴状と陳状の提出を通じた書面による訴人(原告)と論人(被告)のやりとりがあり、ついで訴人と論人が引付の座に呼び出されて対決(口頭弁論)を行った。そして引付頭人・引付衆・引付奉行人による評議によって判決の原案が作成され、評定沙汰(執権・連署・評定衆の合議)により正式な判決が下されて、判
決文が勝訴人に下付された。 13世紀の後半になると訴訟担当機関決定の原理は、訴訟当事者の身分と居住地から訴訟内容へ

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変化する。訴訟は、所しょ務む沙ざ汰た・雑ざつ務む沙汰・検けん断だん沙汰と3種に分類され、所務沙汰は引付が、雑
務沙汰は問注所が、検断沙汰は侍さむらい所どころと諸国守護が管轄することとなった。検断沙汰における侍所と守護の管轄分担は、侍所が御家人の訴訟を、守護が非御家人・凡ぼん下げの訴訟を担当したと考えられ、訴訟機関としての侍所は侍所頭人と奉行で構成されていた。

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 所務沙汰とは土地の所有権を争う訴訟で、雑務沙汰とは土地所有権の移転の認定や土地以外の財産権をめぐる訴訟、検断沙汰とは刑事訴訟である。土地所有権を争う所務沙汰は最重要の訴訟であり、前述した引付訴訟の手続きに従って判決が下された。これに対して雑務沙汰と検断沙汰
は、判決に執権以下の合議を必要としなかったとされている。 鎌倉幕府の訴訟制度に関しては、このほかに判決の過誤を救済する越おっ訴その制度があり、西国の訴訟に関しては承じょう久きゅうの乱後に設置された六ろく波は羅ら探たん題だいが、九州については蒙もう古こ襲来後に設置された鎮ちん西ぜい探題が、やがて担当するようになる。−http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/1/ssr2-17.pdf