ジーコが「監督業」 - サッカー@ふたば保管庫

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インドで8カ国目の監督業「人々が情熱を解き放てる場をつくりたい」

 ジーコが「監督業」を始めた日本から数えて8カ国めで指揮することが決まった。経済発展が著しいインドだ。10月に開幕するインド・スーパーリーグ(ISL)、ゴアの監督に就任した。1月にアルガラファ(カタール)の監督を辞任して以来の現場復帰である。
 インドとは驚きだった。確か、カレーも食べられないはずだった。思わず電話した。「今度はインドですか」と尋ねると「おぅ、ありがとよ。オマエもそっちで頑張れよ」。いつも通りのやり取りにホッとした。
 2006年に日本代表監督を退任してから、トルコ、ウズベキスタン、ロシア、ギリシャのクラブを渡り歩いた。戦火の爪痕が残るイラクで代表監督を務めることが決まったときも、同じような単純なやり取りだけだった。
 ジーコのもとには、今回のインドのほか、中国などアジアの複数の国から、何年もかけて熱心なオファーがあった。1月にカタールのクラブを離れたときも、どこかで監督に復帰するのは時間の問題だろうと見ていた。
http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20140917/soc1409171550001-n1.htm

 サッカー発展途上国だった日本の、それも鹿島に来たとき。公式には「カシマがプロサッカーを通した町おこしというプロジェクトを行うことに興味を引かれた」と表現したが、このコメントを通訳する度に疑問を感じていた。というのも、鹿島以外にも当時引退していたジーコの現役復帰を望む、魅力的なオファーがサッカー先進国から数多くあったからだ。
「あの時、何度も積極的に、かつ具体的なオファーをくれたのは住金(鹿島)だけだったから」とジーコは言ったが、その真相を本人に直撃したのは何年もたってからの飲み会の席だ。
 「スズキ、理屈じゃないんだ。ああだ、こうだ言うよりも、日本に行かなきゃ、鹿島でサッカーをしたい、という衝動に突き動かされたんだよ。もちろんチームの強化も大切だが、そんなことよりサッカーを通して人々が情熱を解き放てる場をつくりたいんだ」
 これがジーコの本心だった。周囲の大反対にもかかわらずイラク行きを決めたのも同じ理由だった。

ジーコには常に困難がつきまとってきた。国民性や文化の違い、サッカーに取り組む姿勢の違い…。そして、焦燥、空回り、四面楚歌といった現実に直面した。これまで成績不振による解任もあったが、何度も意味不明な契約解除があった。「来週応援にいきます」と電話すると、「観光でもするか? 来てもいいけど、オレはいないよ。今、クビになった」と言われたこともある。
 めったに弱音を吐かないジーコが以前、ポツリとこう言っていた。「日本をスタートに、いくつもの国を巡ったが、いつも思うことがある。なぜオレにとってベストの国をいちばん最初に選んでしまったんだろう」と。
 ジーコの思いがインドでどう伝わるか。期待したい。 (鈴木國弘)
                  ◇
「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

将来二度目の日本代表監督があるだろうか

スズキさんのジーコさんとのシンクロ通訳がなつかしい

異なる国を移動していくのは大変だな

ディーコ

ドサ周りの神さま

アジア専門にされててワロタ

インドでW杯予選で恒例行事の停電中にインドの警備員がサインおねだりしてきたけど
涼しい顔して応じてたのをよく覚えてる・・・

ジーコが行ったとこって柏の育成にいた斉藤誠司がいるとこかな?
あっちはIでジーコはISLかな・・・なんか国内バスケのbjとJBLみたいで分かりづらい

アジア杯とか、この人神通力持ってるなと思ったもんだが…
選手としては天才だがいかんせん監督としての能力は大したこと無いのが残念

モチベーターとしてはよかったけどね
監督向きでは無かった

選手時代は優れた空間認識を有する右脳で「感覚」で活躍してた天才だから
戦術を左脳で分析することはそれほど得意じゃなくても何も不思議じゃないんだよね

まあ実力を考えれば妥当な位置
知名度ないと監督にすらなれなかったレベルだし

>アジア杯とか、この人神通力持ってるなと思ったもんだが…
>選手としては天才だがいかんせん監督としての能力は大したこと無いのが残念
選手の能力を見極めることと
いつどのタイミングで誰を投入すべきかを見極めることに関しちゃ断トツなんだがな
自由にやらせすぎるのが日本にはあわないのととにかく運がなかった

随分酷評だな
けれども
日本代表を愛し、力を信じていたのはジーコ監督が一番だったと思う
ジーコのチームは海外遠征ですら攻撃的なサッカーを変えなかった
いつでも真っ向勝負を挑んでいく日本代表のスタイルを始めたのは、ジーコのチームから。
不可解な判定に苦しんだ東欧遠征以外では、アフリカの雄だったチェニジアとの試合で、現地のアフリカ人すら虜にしたり、ユーロを控えたチェコやイングランドとの試合で世界を驚かせたり、プレミアで活躍している選手を要していたアイスランドを一蹴したりと、確実に日本代表をステップアップさせてもくれたと思う

やっぱ1500年間、チャイニーズコリアンという奴隷階級でしか存在を許されなかった奴隷混血雑種猿の半島はダメダメやね