サッカー@ふたば保管庫 [戻る]
掲げた優勝どころか決勝トーナメントにも進めず、謝罪しかできなかった。「この散々な結果ですから。自分たちが未熟すぎた結果なわけですから。すべてを受け入れてまた明日から進んでいかなければいけない。当然ながら僕が言うことの信用も下がるし」と、一からの出直しを誓った。前半ロスタイムに右サイドからのクロスで岡崎の同点弾をアシストしたが「そうですね」と素っ気なかった。 今W杯を集大成と位置づけ代表引退を示唆していたが「いえ。初めから次に行くつもりでしたので。当然ながら次を目指したいと思います」と、完全否定。さらに、次なる野望を抱いていることも分かった。 |
ある関係者は「遠藤選手ぐらい頑張りたいと話していました」と証言する。遠藤が持つA代表の国内最多出場記録146試合を目指すとなると、コロンビア戦で59試合の本田にとっては、年間20試合をこなすと計算しても約5年は必要になる。 昨年3月に日本に帰国した際は左足首の治療だけでなく、体調不良も訴えていた。首もとには手術跡ともとれる傷を負っているが、「僕がここにいるだけで十分じゃないですか」と多くを語らずW杯に打ち込んだ。時代の寵児(ちょうじ)に上り詰めた南ア大会から、どん底まで落ちた。後ははい上がるしかない。 |
>本田圭佑「4年間は大きく間違っていた」 他人事みたいに言いやがって 他の選手もそう思ってるのか?間違いだったと・・・ |
チームリーダーとして、今まで批判されても攻撃サッカーを標榜し続けてたのに1勝もできなかったから、潔く戦術方針の失敗を認めて間違ってたと発言したんだろ。ここで自分達は間違ってないと言っても負け犬の遠吠えでしかないだろ。 |
思い描いていた結果は残せなかった。左サイドバックで3戦フル出場。得意とする縦へのドリブル突破から左クロスの形は、3戦目にして輝いた。だが中に合わない。ゴールに結びつかない。豊富な運動量で、何度も何度も駆け上がった。「誰よりも走って、練習してきた自信があった」。昨秋、所属するインテルミラノのフィジカルコーチと話し合い、練習場に坂道を作ってもらった。練習後に坂道ダッシュを繰り返す姿は、インテルのいつもの風景。そんな姿勢に、昨年12月には主将を任されるほどの信頼を得た。 ビッグクラブで主将マークを巻いて、ふつふつと湧き上がる、ある感情があった。長友の近い関係者によると、次回W杯ロシア大会に臨む日本の主将に、強い意欲を示しているという。強い精神力とリーダーシップは、イタリアで証明済み。4年後は31歳。若返りが予想される新生日本代表において、うってつけの存在だ。 世界を知る選手として大会を振り返り、厳しいまなざしで言った。「1人1人が、想定外のことが起こったときに、試合の中で対処できない。メンタル的なブレが出てくる」。次を見据えた上で言った課題だった。 |
ザッケローニ監督の話に及ぶと再び涙があふれてきた。この日の昼、指揮官が選手たちに向けて言った。「もう1度W杯を戦えるとしても、同じメンバーで戦いたい」。その言葉が深く突き刺さった。「これで終わってしまうのかと、寂しさと悔しさが強く出て。勝たせてあげられず申し訳ない」。涙の分だけ思いも強かった。止めようとした足は、再び歩み始め、新たな決意とともに日本に向かった。 |
◆W杯の日本代表主将 日本が初めてW杯に出場した98年大会は3試合すべてDF井原が務めた。02年大会はDF森岡が初戦で務めるも、けがで2戦目以降の計3戦は宮本に交代。その後は宮本が06年大会まで主将としてまとめた。10年大会は本番直前に中沢から長谷部に変更。大会前のチームは負けが続いており「ズルズル今のムードを引きずるわけにいかない」と岡田監督が変更を決めた。 ◆主将の役割 キャプテンマークをつけ他選手と区別する。規則内の役割は、コイントスを行うこと、PK戦前に退場で人数が減っていた場合、除外選手を主審に告げることだけ。規則にないが判定の異議を主審にすることも多い。公式会見に出席する場合も。FIFA年間最優秀選手賞(欧州最優秀選手賞と統合)で監督とともに投票権を持つ。 |
この日、チームは解散し本隊とは別便でブラジルを離れた。「世界一のための作業が過去4年、間違っていたのであれば、正解は何なのか、それをもう一度、一から見つけたい」と出直しを誓った。今後は海外で自主トレを行い、ACミランが始動する7月10日に備える。 |
選手には調子の波ってもんがあるからな 特にアタッカーはそう。本田が口だけとかは違うだろ まあ文句言ってるやつは分かってて言ってるんだろうけどな 長友は良かった |