3分の1+3分の1+3分の - 数学@ふたば保管庫

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3分の1+3分の1+3分の1=1
これっておかしくないですか?
0.9999999999999...じゃないの?削除された記事が17件あります.見る

  3つに分けた1つを3つ集めたら元の1つになるではないか

  1÷3=0.33333333333333...
1÷3×3=0.9999999999999...
(1÷3)+(1÷3)+(1÷3)=0.9999999999999...
1/3=0.33333333333333...
>これっておかしくないですか?
はいおかしいです間違ってますから

  何だこのレベルの低い質問は

  1.0000000..... = 0.999999999.....

  数字の、見た目の違いについて、あれこれこねくり回すのは無意味ということに気づけ。
体感的に理解できなければ、人から説明を聞いても堂々巡りになるだろう。

  >1.0000000..... = 0.999999999.....
良い子のみんなはこんな阿呆なレスしちゃ駄目だかんね

  体感とかどうでもいいから
1と0.9999999999999...がイコールだってことを説明してよ。

  1と0.9999999999999...はイコールじゃありません。
1と3分の1+3分の1+3分の1がイコールなだけです。

  1+1+1=3
両辺を3で割ると

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  >体感とかどうでもいいから
>1と0.9999999999999...がイコールだってことを説明してよ。

有理数は分数で表される。
0.333...は1/3で、0.999...は3/3なのである。分かったかな?
ここでいう「体感」とは、数字の本質を俯瞰的に見渡せる眼力のことである。

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  Name 58659 10/12/10(金)23:57:35 No.59164 del
ぶっちゃけ、証明を試みたのですよ。
【1 = 0.999…の証明】
この証明において、0.999… は 9 を循環節とする無限小数、かつ、数論を前提とした公理系を扱う。
先ず、公理から 0.999… は循環小数(即ち、有理数)であり、1 及び 0.999… がアルキメデス的であることが言える。
ここで、1 ≠ 0.999… と仮定する。これにより、1 - 0.999… = a と置ける(位取り記数法より 1 < 0.999… ではないのは明らかだから、a > 0 と仮定できる)。
このことは、a は有理数同士の差であるため、0 ではない最小の有理数の値として一意に定まることを意味する。・・・(*)

(続く)

  (続き)

ここで a の逆数を取り、1/a = x と置く。a は有理数なので、x も有理数でなければならない(0 を除いた有理数全体の集合はアーベル群であるため)。
x は有理数であるから、x+1 も有理数でなければなく、x < x+1 でなければならない。
従って a = 1/x > 1/(x+1) が言え、1 - 0.999… = a > 1/(x+1) となる有理数 1/(x+1) が存在する。
このことは、1 及び 0.999… がアルキメデス的であること、0 を含む有理数全体の集合が稠密であること
(この稠密性より有理数の任意の開区間は必ず有理数を含む)から、(0 ではない)最小の有理数の値が一意に定めることはできないことを意味する。これは(*)と矛盾。
∴ 1 = 0.999… Q.E.D.

  Name 58659 10/12/09(木)22:12:02 No.59108 del
ぶっちゃけ、数論の枠を超えて集合論で論じれば面白いことが起きるのですよ。
「長さが 1m の紐から 0.9m の紐を切り取って除き、その 0.1m の紐から 0.09m の紐を同様に除き、
その 0.01m の紐から 0.009m の紐を同様に除き、…を無限に繰り返すと最後はどうなるか?」
では、長さ(測度)が 0 の紐が「残る」のですよ。
ここで「残る」としたのは、集合(紐)として存在しない(空集合)ではなく、測度が存在しない集合(紐)が存在するからなのですよ(零集合)。
数論において、1-0.999…=0 の結果は揺るがない事実なのですが、それ以上のものではなく、
「何かがある」という直感を成り立たせる「公理系」の存在そのものを否定するわけではないのですよ。
だから、初めに「アルキメデス的」や「有理数」といった数論的公理が、論証の前提におかれていることを把握しなければ、
互いに論が噛み合わない現象(齟齬)が起き得るのですよ。

  ようわからんが漏れは小学校3年生のときに等比級数の公式を発見して
1/3=0.333333333333...
であることを悟った

  >数論的公理が、論証の前提におかれていることを把握しなければ、互いに論が噛み合わない現象(齟齬)が起き得るのですよ。

ありがとうございます。
正直
証明は途中からよくわからなくなりましたが
すごく納得がいきました。

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  >証明は途中からよくわからなくなりましたが
わからないのは言葉の意味か?
簡単に言えば、

【アルキメデス的】
・与えられた数 a は唯一つの値を示す(一意性)
・与えられた数 a は大きさの比較が可能である(全順序性)
という性質を有すること

【稠密】
・任意の有理数 p,q(但し p<q)の間には必ず p<o<q となる有理数 o が存在する
・任意の有理数 p,q(但し p<q)の間には必ず p<t<q となる無理数 t が存在する
・任意の無理数 r,s(但し r<s)の間には必ず r<o<s となる有理数 o が存在する
・任意の無理数 r,s(但し r<s)の間には必ず r<t<s となる無理数 t が存在する
ことを表したもの

  【アーベル群】
ここでは、0除法を除く有理数同士の四則演算は有理数で閉じている
(0除法を除く有理数同士の四則演算結果は必ず有理数になる)
ことを表したもの

  0.999・・・=xとおく
10倍して10x=9.999
10x=9.999
 -x=-0.999
10x-x=9
9x=9
x=1
高校で習うだろこんなの

  また,この議論をしてるのか………

  >このことは、a は有理数同士の差であるため、0 ではない最小の有理数の値として一意に定まることを意味する。・・・(*)
ここで「最小の」と言い切れる根拠は?

  そんなどうでも良い事よりも
ぶっちゃけがクソ画像貼らなくなった事を褒めるべきだと思う

  >ここで「最小の」と言い切れる根拠は?
位取り記数法の定義より(桁上がりをしない)各桁の最大の数は「9」であり且つその「9」が無限に連なっていることから
「0.999…」は「1」に限りなく近い有理数であるか「1」そのものかのどちらかに限られる

  すごく難しく考えるのな
「じゃいくつ足りないの?」で済むじゃん

  >位取り記数法の定義より(桁上がりをしない)各桁の最大の数は「9」であり且つその「9」が無限に連なっていることから
>「0.999…」は「1」に限りなく近い有理数であるか「1」そのものかのどちらかに限られる
それは「1に限りなく近い有理数」であることの根拠になっていない
実際、即座に a / 2 という a よりも小さい明らかな有理数を考えることができ、
これが存在する以上、0.999…と1の中間に明らかに別の有理数が存在することになってしまうからだ
一方でもし、ここにその位取り記数法の定義より、非 0 のa / 2 という数の存在を認めないのであれば a は 0 に他ならない

  この手は、なんぼでも説明がつくのな。(これまでのレス群参照)
で、どうしても理解のポケットに入り込めない人種がいて、
説明多すぎて余計こんがらがり、堂々めぐりとなってしまう。
これを「理論の迷宮」と言う。
ほんとの理解は、目から鱗の瞬間、まさに理論を超越したところにある。

  「分数」と「小数」では表現方法に制約があるというだけで
本質は同じものだと気付けば、理解は簡単じゃん。

  >説明多すぎて余計こんがらがり、堂々めぐりとなってしまう。
じゃあ仕切りなおして簡単に説明してみな
>ほんとの理解は、目から鱗の瞬間、まさに理論を超越したところにある。
なに言ってんの?馬鹿?

  >「分数」と「小数」では表現方法に制約があるというだけで本質は同じもの。
>有理数は分数で表される。0.333...は1/3で、0.999...は3/3なのである。

上の2つで理解出来なければ、永遠に無理。

  論理学・数学に
禅問答的な直感主義を持ち込むのは感心しないな〜

  >上の2つで理解出来なければ、永遠に無理。
つまり君はわからない人にわかるように説明する事が出来ないって事だよ

  理解するということには2通りある。
1、理論的には理解したのだが、感覚的にいまいちピンとくるものがない。
2、理論的に理解しつつ、さらに体系的にも掴めた時。
  つまり目から鱗という奴だ。

禅問答をする気はなく、あくまでも理論的に理解することが前提だ。
本当に理解するということは「2」の、全体を俯瞰しつつ体系的に理解できた時である。

有理数である循環小数は分数で表される。(循環小数と分数は同義)
0.333...は1/3で表され、0.999...は3/3=1で表されるということが、
そんなに理解するのに無理があるとは思えないが。

  難しい話に入る前に
「無限小数」という概念を自分でキチンと
定義できているかどうか,考えてみましょう。

  >理解するということには2通りある。
そこから間違ってるよ
理解すると言う事は
1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。
2 他人の気持ちや立場を察すること。
だよ

  >循環小数と分数は同義
同義ではない

  「無限小数」は、有理数と無理数とに分かれる。
有理数は循環小数のこと、無理数は循環せずに終わりの無い少数のこと。

  >0.333...は1/3で表され、0.999...は3/3=1で表されるということが、
>そんなに理解するのに無理があるとは思えないが。
なんかズレてるなキミは
理解できないと言われてるのはソコじゃないんだが
まだ鱗入ってんじゃないの?

  >0.333...は1/3で表され、0.999...は3/3=1で表されるということ
いやいやいや表されるで逃げるんじゃないよ
0.33333333333333...+0.33333333333333...+0.33333333333333...=1
を説明しろよ

  >「無限小数」は、有理数と無理数とに分かれる。
>有理数は循環小数のこと、無理数は循環せずに終わりの無い少数のこと。

学校で教わる内容に引っ張られてるな………
もっと単純に!

小数点以下の桁が無限に続くとはどういうことか?

  循環小数について:
0.785785785...と、少数点以下785が永遠に続く循環小数は
これを分数であらわすと、785/999となる。
0.575757...は、57/99であらわされる。(約分すると19/33)

では、0.999...は、9/9で1となる。

  0.99999・・・と永久に9が続く数字が1で無いと言う事は
0.00000・・・と永久に0が続く数字が0で無いと言う事と同じ

  「永遠の0」

  尋ね方を変えた方がいいかな?

いわゆる「無限小数」において,小数点以下の桁の
存在態様は次のうちのどれか?
1 「無限」の桁の数字全てが最初から存在しており,
 途中で数字が増えたり,減ったりはしない
2 小数点以下の数字が,桁の下方向へ増え続けている
3 前2者以外のなにか

なお,3の場合はどのような形で存在するかを明示して
ください。

  数一勉強はじめたのでよろしくお願いします

  >実際、即座に a / 2 という a よりも小さい明らかな有理数を考えることができ、
>これが存在する以上、0.999…と1の中間に明らかに別の有理数が存在することになってしまうからだ
それはおかしい
a/2 が 0.999… と 1 との間に存在すると仮定した場合
a/2 の小数表記において各小数点以下の位の表記がどこかで
「9」よりも大きな数が存在することが求められる
これは位取り表記の定義に矛盾
有理数の小数表記においては0.999…を越える1に最も近い表記は存在せず
0.999…は1に「限りなく近い有理数」か「同値」かのいずれかになる
そもそも
「1ではなく1に限りなく近い有理数を特定することができるかどうか」

「1ではなく1に限りなく近い有理数が0.999…として存在し得るかどうか」
ということとは別概念だ
混ぜるな危険

  1.000000... = 1 = 0.999999...
以上

  「的確で、かつ、渦中の人が納得し、かつそれを表明する」
そんな説明が存在する保証は無いわな

というより十分に的確な説明は出尽くしていると
言っていいんじゃねえの?

  故意に理解しているのにもかかわらず理解して無いフリをする人
証明が出来ているのに頑なに証明出来ていないと言い張る人に説明する事は
時間の浪費である事をここの住人は理解するべき

  数学者の定立した公理を認めれば
1 = 0.999…
は証明できる。

しかし,よくよく考えるとその公理自体は
さして自明な命題には見えない。

数学者に従うかどうかは各人が自分で考えましょう。

  >a/2 が 0.999… と 1 との間に存在すると仮定した場合
いやそもそも a/2 がそのような位置に存在するはずがない
No.92440 での a の定義をもう一度見直して確認欲しい
このレスでは、a = 1 - 0.999… (a>0)とし、ここでこの a を「最小の有理数」であると主張しており、
そのことについて、ただちにa/2というもっと小さな有理数を考えることができるではないかと私は異議を唱えた
そしてもしこの a が非ゼロであるならばa/2も非ゼロとなる

今、ここにA = 1 - a/2 という数を考えよう
A は明らかに有理数であり、また明らかに 1 - a よりも大きく、従って 1 と 0.999…の中間に
存在し得る有理数となるはずである
ここまでが上で述べたことの前半だ

  おそらくキミはこの A についての話をしているものと推察されるので、
以下の引用もその趣旨で解釈させてもらおう

>(Aの)小数表記において各小数点以下の位の表記がどこかで
>「9」よりも大きな数が存在することが求められる
>これは位取り表記の定義に矛盾
>有理数の小数表記においては0.999…を越える1に最も近い表記は存在せず
1 > A > 0.999… を満たすならば、この位取り表記の定義からただちに、Aは小数表記が不可能な数であることが要請される
ところがAは有理数であり、これと矛盾する(どんな有理数も有限/無限小数表記が可能である)
換言すれば 1 > A > 0.999… を満たす有理数 A は存在しないことを意味する
よって、A = 1 - a/2 > 1 - a = 0.999… である以上、そもそも 1 - a/2において a/2を非ゼロ、
すなわち a を非ゼロとした仮定がオカシイことになる

  結局のところ、No.92440にある以下の表記は
>ここで、1 ≠ 0.999… と仮定する。これにより、1 - 0.999… = a と置ける(位取り記数法より 1 < 0.999… ではないのは明らかだから、a > 0 と仮定できる)。
このように書いた時点で「a > 0 と仮定できる」もクソもなく、
上に述べたことより即座に明らかなように a はゼロ以外にあり得ない
最小の有理数といった意味不明な主張や、アベル論だのティアラ論だのを持ち出すまでもなく、
この時点で議論は完結しており、即ち 1 = 0.999…であることは示せている

  >>1/3=0.333333333333...
>であることを悟った

だが3×1/3=1という事実
ある意味では1/3 と 0.33333333333… はイコールじゃないって事だよ

  無限小数の位取りが絡む証明を
クオリアに依存することなく
厳密に有限ステップの形式的記号列操作で済ませるには…

漏れが発見したのは実質No.92451と同じなわけだが
0.9999...の10倍が9.9999...であることは、その表記だけ見れば
直感的にそう思えるだけ、あるいは
暗黙に無限桁の演算を含んでいるように感ずる、

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  物理屋の君は基礎論や代数を学んでいないかもしれないが、もしそうならその理解で十分だろう。
一応君が出入りするようになった頃からも、たびたび論点に上がるアルキメデス性や、写像などの「関係」の概念、任意有限と可算無限の違いがこの理解の本質として語られている。
まぁ、この板だけではなく多くの質問所で定期的に現れる議題だけどね。

>暗黙に無限桁の演算
表記上の無限桁の演算は、そのままでは可算無限(可能無限)と言われるが実行不可能。
だから、それに意味を持たせる方法の一つとして直観的な数直線上の点に対応させて「より右」「より左」「同等」が決められるような定義。或は、昔から伝統・慣習的に知られている自然数に順序関係や四則演算などが定義されているように、そのシステムの延長に齟齬なく唯一の数として極限操作の記号的表現を対応させたい。

  (続き)
この大まかな要請が元にあって、それに対するある程度の『正しい言葉』で表現しようという流れが、19世紀後半から20世紀半ばまでである程度完成され、それらが形式と構造と機能の厳密主義となった。これもいろいろ派閥があるがそれほど気にしなくてもいい。

「0.9999..」という表記は曖昧なので本来は極限と級数和記号を使って表すが、レスの流れに従うとして、そのままでは無限回の演算だから実行できないのならそれは単なる記号と理解する。その記号を齟齬なく「ある唯一定まる数の概念」に対応させられるのなら、その記号(表記)をもってその数を呼び表そうという発想だ。

  (続き)
その対応させる方法の代表が、有理数体の様々な仕組み(四則演算や稠密性、全順序など)を定義しておいて、「0.9999..」の小数点以下の桁数の延長である「…」の部分が「任意有限」である時は決して1にはならない、超えることも無いという有界性と桁数に対しての単調増加性から、「上界と呼ばれるモノの下限」をその記号「0.9999..」と同一視しようというのが極限の素朴な発想。そしてそれが1として齟齬がないという証明の一つが、「有界単調な有理数列から無理数を含めた実数を構成する方法」になる。これは古くは、公理の方法論として順序完備(順序充填)とも呼ばれた。この方法は有理数からの拡張で無理数を含む実数全体を定義しようとして生まれた方法の一つであると言っていい。
一般に、有理数列の総和は項が「任意有限」なら有理数だが、無限和ならば有理数かどうかも判らないし、収束するのかもわからない。だから極限の議論が整備された。

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  >.全角
全角氏の迂遠な証明という指摘は尤もでありまして、以前に上の証明をぶっちゃけ氏が書いたときのスレで私も同様の指摘をしました。

背理法の仮定は 「1 ≠ 0.999… と仮定する。」とありますから、そこから矛盾が導かれればいいのです。「正の有理数全体の集合に最小元は存在しない」のは事実なわけで、有理数の稠密性やそれを導く同等な公理から示してもいい訳です。
確かに、稠密性まで仮定していると直ちに上記の事実は自明なので証明は大幅に短縮されますが。
冗長だけれども決定的に間違いとも言い切れないのが難点でして。

迂遠な表現ですが、アルキメデス性と整列性の公理に書き直せばより良いものになるんじゃないですかね。
昔の演習ではそうでしたね。

  (92523から続き)
今回の議論は有理数の範囲で完結しているというのも大きな点。
十進法表記の小数展開というのは10の冪(冪指数に負の整数を含む)を基底にした級数展開なのだが、1/3などは十進法表記で小数展開した表記では無限かつ循環する級数和の略記表記になる。これは自然数・整数の除算で剰余をうまく定義することによって、表記をカテゴリカルにし、部屋割り論法で循環かつ無限小数であることを証明する。
つまり有理数もある表記によっては無限級数表現になることがあるというだけの事であり、逆に1/3も例えば三進法表記で小数展開すれば、「0.1」で有限桁。

過去のぶっちゃけ氏のレスの証明で、「0.9999..」が循環無限小数だから「有理数」だと最初に限定して議論しているのは、おそらく極限が表に出ないようにするためと、無理数を考えなくてもいい事が明らかだからだろう。

  (続き)
背理法で証明しているが、発想は
(1-0.9),(1-0.99),(1-0.999),…
という数列の極限が0になるという事を極限の表現が表に出ないように議論を展開しているだけだという事を読み取れればそれほど難しくはない。
極限の発想そのものを公理に据える流儀もあるが(たとえば単調有界数列収束の議論)、ぶっちゃけ氏の議論展開の源流にあるように、「アルキメデスの公理」と「自然数の空でない部分集合は最小限を含む(自然数の整列公理)或は、ツォルンの補題」+αを重視する流儀もある。
後者はただちに有理数の稠密性が導かれ、それだけでは実数は構成できないが重要な公理だといえる。

  「無限の考察」について:
一般の人間が、今いる地球から抜け出せないように、宇宙の果てがどうなっているかわからないもどかしさはあるだろう。
無限級数はその名のとおり、少数以下無限に連なる数字。それは、最初から無限に存在して「ある」のか、追って行くたびに増えて「いく」のか、悩ましい人もいるだろう。
しかしこれらは、近視眼的あるいは三次元的発想に過ぎないのかも知れない。いわゆる「木を見て森を見ず」というやつだ。
ならば一歩踏み出し、次元をひとつ上げて全体を見渡せば、見えてくるものもあるかも知れない。
数字は人が発明した文字列に過ぎない。自分で発明しておいて、自らそれに縛られ悩むことは、愚かなことのように見える。割り切れないからこそ、数字が無限に続いて行くのは自明の理。だから、分数という表現方法を見つけ出した。
だから、循環少数と分数は表現の違いこそあれ本質は全く同じもの。
以上参考まで。

  >上に述べたことより即座に明らかなように a はゼロ以外にあり得ない
>最小の有理数といった意味不明な主張や、アベル論だのティアラ論だのを持ち出すまでもなく、
>この時点で議論は完結しており、即ち 1 = 0.999…であることは示せている
No.92499のレスは「この時点で議論は完結」しているかどうかの検証レスではなく
「ここで『最小の』と言い切れる根拠」についてのレスだ
いつの間に「ここで『最小の』と言い切れる根拠は?」という論点から
「この時点で議論は完結」しているかどうかの論点に差替えたの?

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  >1 > A > 0.999… を満たすならば、この位取り表記の定義からただちに、Aは小数表記が不可能な数であることが要請される
そもそもぶっちゃけは
@ 1 ≠ 0.999… と仮定する
A これにより、1 - 0.999… = a と置ける
B 位取り記数法より 1 < 0.999… ではないのは明らかだから、a > 0 と仮定できる
と順を追って(背理法の前提となる)仮定を構築している
この段階以前においては直ちに「Aは小数表記が不可能な数であることが要請される」ことが
自明であるとは言い切れない(そのため「位取り記数法」について言及しなければならなかった)
ぶっちゃけのアルキメデス的やアーベル群についての言及は有理数の性質への補完説明として意味を持つ

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  >全角氏の迂遠な証明という指摘は尤もでありまして、以前に上の証明をぶっちゃけ氏が書いたときのスレで私も同様の指摘をしました。
ぶっちゃけの過去の「迂遠な証明」については初学者からの疑問に応じた経緯があっての姿
例えば
@ 論を有理数に限定したのは実数の概念排除
A 有理数のアルキメデス性を謳ったのは超実数の概念排除
B アーベル群に言及したのはゼロ除法による演算定義の乱れの排除
C 背理法に登場する「逆数」への論理展開は(ゼロへの直接的な)極限の概念排除
のため
無論上記を理解していること前提では無用の長物
もっと言えば位取り記数法と稠密性の言及だけで証明可能
ただNo.92528の言うようにぶっちゃけの証明は多少冗長気味ではあるが本質的な過失は見当たらない
それでも冗長が許せないというのなら初学者でも理解し易い別の証明を示すべきかと

  >1 > A > 0.999… を満たすならば、この位取り表記の定義からただちに、Aは小数表記が不可能な数であることが要請される
つまらないことだが(超準解析における)「無限小」の概念を無理やり組み込ませるならば
A の存在は「位取り記数法」だけでは直ちに否定されるわけではない
だからわざわざアルキメデス性を謳う必要があった
(言うまでもなく無限小は小数表記が不可能な不定形の「数」)

  >B 位取り記数法より 1 < 0.999… ではないのは明らかだから、a > 0 と仮定できる
>と順を追って(背理法の前提となる)仮定を構築している
>この段階以前においては直ちに「Aは小数表記が不可能な数であることが要請される」ことが
>自明であるとは言い切れない(そのため「位取り記数法」について言及しなければならなかった)
いや「B 位取り記数法より」っておもいっきし初っ端に書いてあるやん
で、直ちに「Aは小数表記が不可能な数であることが要請される」ことが自明であるのは
まさにこの「位取り記数法より」という言葉を登場させたその瞬間においてだよ
上にある「位取り記数法より 1 < 0.999…ではないのは明らかだ」が瞬間的に言えるのと全く同様に
「位取り記数法よりAは小数表記が不可能でよって a = 0 であることは明らか」も瞬間的に言える
「位取り記数法より」という電化の宝刀を一度口に出してしまったからには、アーベルだのティーアラだのアルキデメキンだのを唱える必要は全くないよ?

  >つまらないことだが(超準解析における)「無限小」の概念を無理やり組み込ませるならば
>A の存在は「位取り記数法」だけでは直ちに否定されるわけではない
>だからわざわざアルキメデス性を謳う必要があった
あたしゃε-δ論法信者なのでw
まあ個人的にはソレはつまらなくはないと思うしむしろ面白い数学だとは思うが
しかしそのようなtransfer principleはユークリッド幾何の範疇で論理展開してるところに
いきなりリーマン幾何や位相幾何を意味もなく割り込ませるような面白さであって
それこそ今ソコでわざわざ謳う必要の全くないものだよ

  >直ちに「Aは小数表記が不可能な数であることが要請される」ことが自明であるのは
>まさにこの「位取り記数法より」という言葉を登場させたその瞬間においてだよ
No.92534に「この段階“以前”において(自明であるとは言い切れない)」と明記している
自明なのは「瞬間において」であって「この段階“以前”において」ではない
よく読んでからレスすることをお勧めする

  >位取り記数法よりAは小数表記が不可能
「位取り記数法よりAは小数表記が不可能」
であることと
「位取り記数法より0.999…が1と同値である」
かどうかとは別概念だ
だからぶっちゃけは敢えて
「位取り記数法より0.999…が1より小さいか若しくは1と同値である」
と示したのでは?
というのもぶっちゃけの示した証明は位取り記数法だけでは不十分で
そこに稠密の概念を組み込むことで補完されるため
強いて言うなら背理法の中で逆数を持ち出すことによって
稠密の概念を初学者にも理解し易くしようとした配慮が多少「冗長」だということ

>あたしゃε-δ論法信者なので
住人の与り知るところではない(「住人の知ったことか」ということ)

  尚誤解の無いように申し上げるが
No.92537にて「つまらないことだが」としたのは無限小の概念が
本題(有理数における命題)から余りに的はずれな言及であるため
「超準解析」への個人的な感想を申しあげたのではない

  このスレを見て一つ明らかになったことがあるな。
ぶっちゃけが何も賢いのではなく、
「1ではなく1に限りなく近い有理数を特定することができるかどうか」と
「1ではなく1に限りなく近い有理数が0.999…として存在し得るかどうか」ということ(92499)や、
「位取り記数法よりAは小数表記が不可能」であることと
「位取り記数法より0.999…が1と同値である」かどうか(92541)との
概念の区別がつかない全角が暗愚なだけ。

  Name No.79385 13/07/20(土)01:44:52 No.88350 del
お前ら日本人は馬鹿ばかりだから
真面目にレスしても理解できないんだろうけどね
せめてこの板を支えているのは日々研鑽に励んでいる
在日同志のおかげだってことくらいは理解しろ

Name No.79385 13/07/20(土)12:16:17 No.88401 del
>コピペ馬鹿の祖国は北朝鮮w火病ってていいよw
お前は俺を怒らせた
日本人は悪いことしてきたくせに、今でも同志を苦しめる恥知らずの愚民
東京は日本を併合して以来ずっと我が民族の領土だ
覚えておけ

No.79385は自身の意見に対立・疑問を呈する者に対し「キチガイ」呼ばわりすることに加え
「苦しい」「悔しがる」の意味すら把握できない在日荒らし

  >あたしゃε-δ論法信者なので
ライプニッツやオイラーなどの無限小量という非アルキメデスの量を排除することに成功した歴史的に意義ある成果であり、その論法を従わせる公理系による議論を誰も否定はしないのですが、その原理の要諦は「距離という位相概念」と「任意正数ε」の導入に二重否定を駆使する、つまり量化されたεによって無限小量の議論を表面に出さず包括的に扱っているというものでしたね。

その論法(発想)は実際に強力であり、このスレの一部の議論である「数列の収束」から「写像の連続性」あたりまで通用するものです。衒学的な区別としてε-N論法とε-δ論法に分けることもありますが、些末な事です。
その論法かそれに類する方法でこのスレの問題を説明するという視点は全く問題ないのですが、アルキメデス性という概念は非常に重要なものでして、そのことを浮きだたせる論法は(必要ではないにせよ)それなりに価値あるものであるという意見には賛成です。

  (続き)
私が過去のスレでぶっちゃけ氏の証明に対して意見したことは、「冗長ではあるが間違いではないし、アルキメデス性を重視する論点であることが納得できる」という事でありまして、例えばこの問題に対して私が提示した「有理数の稠密性をアルキメデス性とある種の整列性の公理で説明する」という方法ならぶっちゃけ氏の証明よりもより冗長になります。もちろん普段なら省略するのですが。

そしてもう一つの議論は他の方のレスにあるように、アルキメデスの公理あるいはアルキメデス性を初めに謳っておれば、超実数などの非アルキメデスな順序体を簡単に排除できるという点です。
ε-δ論法の距離が通常の距離の公理を満たしているならば、距離が定義された順序体では距離が0である二つの要素は等しい(同一の要素と看做す)といえます。

つまりは、収束列の公理によるε-δ論法の議論というのは、数列の項が任意有限番目までは極限値との距離が0にはならないけれど、無限数列(その行きつく先)という記号表現を極限値との距離が0である数と看做すという取り決めであると言えます。(任意有限から無限へのジャンプで無限小量を回避する取り決めをしている)

  (続き)
これは「上に有界な順序集合は上限を持つ;ワイエルシュトラスの上限存在公理」にアルキメデス性を組み合わせたものであると言えますから、収束列の公理(これを公理とする立場なら)から実数などのアルキメデス性は確かに証明される(この場合は定理)と言えます。
全角氏の指摘は収束列の公理を前提とされる議論では正しいと言えるもので私もその旨を理解しておるのですが、冗長であるという以上の指摘はできないという事も私は承知しております。
全角氏の簡便に説明しようという主張も間違いではなく、ぶっちゃけ氏の証明も間違いではない。単なる流儀の違いですね。

  >0.999・・・=xとおく
>10倍して10x=9.999
> 10x=9.999
> -x=-0.999
> 10x-x=9
> 9x=9
> x=1
>高校で習うだろこんなの

これはトートロジーだね。
> 10x-x=9
ここを
10x-x=8.999...
と書けば分かる。
証明結果を証明途中に使ってる時点で、証明が成り立たなくなってる。

  ここでの"10x-x"については"(9.9999...)-(0.9999...)"と読み解ってコレを計算をしよう。
すると、戻り値は"9"となる。x=1で計算してもやはり"9"が戻る。
これらの計算結果が
"0.9999..."で表わされる数と"1"で表わされる数とのあいだの外延的同一性;0.9999...=1
の一種の証しになる。
【Google電卓による証明】
(10 * 0.9999999999) - 0.9999999999= 9 ("9"を10桁以上入れないと無限小数"0.9999..."を意義しない。)
(10 * 1) - 1 = 9
∴0.9999999999...=1

  書き込みをした人によって削除されました

  >No.92550
ようわからんが
 0.9999...=Σ[i=1..∞]9*10^(-i)
と言って良ければ
 10x-x=8.999...
を経由せずに済む、

ていうか8.999...=9であることはそれはそれで証明が要るので証明無しにはNo.92451の否定材料には使えないのでは…
(そして8.999...=9が証明されたらそもそもNo.92451の否定根拠にならない(10x-x=9として無問題)ということに…

  > 1=0.9999999...
が理解できない人は、無限と有限の違いが理解できてないんだよね

無限と有限は別物だと、まず理解というか納得することができれば上の式も納得というかそういうものだと分かる。

物理だと
無限遠で交差する2直線=2直線は平行
とか。

  >無限と有限の違いが理解できてないんだよね
そして君は無限と有限の違いを説明できない人なんだよね

  >これはトートロジーだね
論理式とみた場合、どの述語を変数としてみた場合にトートロジーになってるんだ?
ついでに、排中律による真偽の逆転なく推移のみで証明するべき要素を途中の仮定で扱う論法はトートロジーではなく循環参照あるいは循環論証という。

>10x-x=8.999...
これへの変形自体が
9.999...-1=9.999...-0.999...=8.999...
としているので説明なしの循環参照。

  >10倍して10x=9.999
> 10x=9.999

高校で習うとされるこれは荒い論証なんだが、君のより筋が通っている。
0.999...をxと置き、xが実数あるいは有理数の範囲で唯一定まる数であり、四則や位取り記数法にも従う数であるという暗黙の(高校範囲では自明だとして省略される)仮定があると介される。
10倍して10x=9.999...
も本来なら証明すべき点だが、無限ホテルと構造は同じ。
9.999...=9+0.999...
と考えていると理解できる。

しかし、君の
>10x-x=8.999...
への変形は
9.999...-1=8.999...
と説明なしに行っているが、どのような理屈かね?

  ちょっと難しいかな?
トートロジー(同語反復・恒等命題)の一部に証明論で言う所の循環参照が含まれる。

循環参照の意味で使っているのなら、君の論法の方が循環参照だといえるが、循環参照以外の意味合いを含むトートロジーだと主張するのならその旨を説明してくれ。

  > そして君は無限と有限の違いを説明できない人なんだよね
有限と無限が同じものだとなぜ思う?

違いも何も別物、ただそれだけ。
1+1=2
をまず納得しろ、と同じレベルなんだよね。

  >有限と無限が同じものだとなぜ思う?
同じじゃないから違いを説明してって言ってるのに
底抜けの馬鹿だねお前は

  >同じじゃないから違いを説明してって言ってるのに
じゃぁ、君が説明してやればいいじゃないか。相手が説明できていないと主張しているんだから。
皆でどちらの無限・有限の定式化が正しいのか検証しよう。

  >同じじゃないから違いを説明してって言ってる
つ[無限ホテル]