現代版 呉楚七国の乱 - 雑談@ふたば保管庫

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14/04/24(木)23:09:04 IP:220.208.*(coralnet.or.jp) No.1257976 del
現代版 呉楚七国の乱

歴史は繰り返してしまうのか

秦の苛烈な法治主義への反省と長い間の戦乱から来る国力の疲弊とを考慮して、郡県制を布く地方と、諸侯王を封じた半独立国を作って治めさせる地方とを並立した。これを郡国制と呼ぶ。しかし、秦以外の旧6国地域の士民の中には漢の皇帝を「秦王」と同じように見なすものもあり、諸侯王を王としてかつての6国(戦国七雄)の復活を願う傾向が完全に無くなったわけではなかった。
その後、漢は文帝・景帝時代の善政により次第に国力を回復し、自信をつけた中央政府は各地の諸侯王たちの権力を疎ましく思うようになった。諸侯王の方でも自らの領地内では完全な独立の権限を保持し、中央政府の命令を聞かない者が多くなっていた。その中でも特に呉は製塩と銅貨鋳造によりもたらされる財力を背景とし、呉王劉?の嫡子劉賢が皇太子時代の景帝に些細な口論から殺されたこともあって、諸侯王の義務である長安への参勤を取り止めるなど、独立色を強めていた。
これらの諸侯王の力を押さえ込むため、景帝は御史大夫の晁錯を用い、口実を設けては諸侯の領地を次々に削り始めた。
  支那は戦乱の世こそ文明が発達するばしょ