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そのイ局長はセモ社に7年間勤務し、造船事業部の係長を務めた後、1997年に警正(日本の警視正に相当)の特別採用を通じて海洋警察に採用された。また、イ局長は海洋警察に採用される前、救援派の信徒でもあった。 イ局長は1997年に造船工学博士の学位を取得したが、ちょうどそのころ、海洋警察が造船工学など一部の専門分野で警正の特別採用を実施し、これを通じてイ局長は海洋警察入りした。イ局長は博士論文で「勉学の機会を与えてくれた兪炳彦会長に心から感謝申し上げる」とつづっていた。 警正として海洋警察入りしたイ局長は、約10年の勤務を経て総警(警視長に相当)に昇進し、海洋警察改革団の団長に就任した。改革への取り組みが認められ、2007年12月の「海洋警察の日」には大統領表彰を受け、それから4年後の11年には「警察の星」といわれる警務官(警視監に相当)に昇進した。翌年7月には情報捜査局長に就任し、海洋警察の情報収集や捜査の総責任者となった。 |
だが、イ局長がかつてセモ社に勤務していたことが明らかになったことで、セウォル号沈没事故の捜査や救助活動で中心的な役割を担うのが適切なのか否かをめぐる論議が巻き起こるとみられる。イ局長はこれまで、セモ社に勤務していた事実を明らかにしていなかったことが分かった。 これについてイ局長は「今回の沈没事故が起こった後、彭木港(全羅南道珍島郡)で行方不明者や犠牲者の家族を手助けする任務に専念しており、捜査は西海地方海洋警察庁が担当している。清海鎮海運に対する家宅捜索は、会社や広域捜査隊が全て仁川市にあるため、そちらに任せている」と語った。またイ局長は「救援派には問題があることに気付き、海洋警察入りするときにはすでに関係を断ち切っていた。その後はセモ社や救援派とは連絡を取ったことすらない。先方は私を裏切り者だと思っているだろう」と話した。 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/01/2014050101023.html |