柿谷曜一朗を4歳から - サッカー@ふたば保管庫

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サッカーでなく学習塾の予定が…

柿谷曜一朗を4歳から小学4年生まで7年間にわたって成長を見守ったC大阪スクールコーチの高橋正則氏(42)が、そのエピソードを語った。
学業に熱心だった柿谷の両親は、習い事をサッカーではなく学習塾へ切り替える方針に傾いていた。「曜一朗のポテンシャルをお父さん、お母さんに示すためにはどうすればいいか」。指導者たちが思案を重ね、両親を説き伏せる材料として用意したのが“飛び級”だった。必死の説得も実り、ボールを追いかける日々は続くことになった

   「あの子に対してだけはパワーを使わないといけなかった。負けず嫌いで何回も向かってきてね。あの子とは戦ってましたね」。大阪の強豪・北陽高(現関大北陽高)の攻撃的MFとして鳴らしたコーチは足もとの技術が高い。その技を間近で体感できる1対1によって、少年のテクニックは磨かれていった。
 
 その頃、時間を割いたのがボールコントロールの練習だった。高く上げたボールを、ショートバウンドで収めて次のプレーへと移る「ウエッジコントロール」。敵に囲まれていることを想定し、ボールが地面に着く寸前に足を出し、勢いを殺して足もとに収める「クッションコントロール」。2年生からこうしたメニューに取り組んだことで、3年生の終わりから4年生にかけて技術が急速に進歩した。それが今や代名詞と言える「神トラップ」の礎となった。

  曜一朗以外のここに写っとる他の子らはどうなったんだろう