ゆり@ふたば保管庫 [戻る]
これ最初の頃は生誕78周年になってましたわ。 後で見たら128周年に訂正されてましたが。 |
「三四郎」に出てくる三四郎の憧れの女性のモデルと知ってびっくりしましたわ |
その立場は,奥村博史との出会い,そしてイギリスの性科学者ハヴェロック・エリスの『性の心 理学』(1897)との出会いから変更されはじめる。「紅吉のわたくしに対する異常な愛情,(博史へ の:引用者補足)とりわけ激しい嫉妬に驚き,また悩まされてもいた」平塚は,エリスの同性恋愛 の研究を手に取ったという(下:543)。この翻訳は1914 年『青鞜』4 巻4 号に掲載されている。 黒沢(1996)によれば,エリスという近代知と博史との恋愛に出会った平塚は,病理的な「同性愛 者」として尾竹を意味づけていった。そして,晩年の『自伝(下)』では,ついに「同性愛ではな かった」(下:388)と位置づけられているのである。 4 まあ予想されたオチですわ |
大正時代 生涯添い遂げたのは吉屋信子先生だけだった気がしますわ宮本百合子と湯浅芳子も結局は別れてしまいますし湯浅芳子と宮本百合子 | 『百合子、ダスヴィダーニヤ』http://yycompany.net/yoshikoyuriko.html |
日本版ググるさんのイメージの絵を誰が書いたか調べるまで 知らない人でしたわ。あの絵を誰が描いたかは分かりませんでしたが |
http://hagakurecafe.gozaru.jp/zyosei43koukiti.html らいてうを奪われ嫉妬に燃える紅吉は、よくも!と、奥村博史に恨みの手紙を送ります そのため、らいてうと紅吉の間に亀裂が入ってきてしまいました さらに奥村博史の友人は「あんな女達に近づくとロクなことがない!」と大反対していました 紅吉は、らいてうを奥村博史に奪われたことにショックを受け、とうとう青鞜を退社することにしたのです |
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紅吉さんは当時女人禁制だった吉原に行って遊んだりと自由奔放なところを見せますけれど 最後はフツーに♂と結婚してしまいますし らいてうさんも♂との自由恋愛に走ってしまいますし 女性解放の草分けではありますが LGBTの草分けと言うわけではありませんでしたわね アメリカの異性愛のフェミニストたちからラベンダー色の脅威と蔑称された同性愛フェミニストたちみたいな人たちはまだ当時の日本では現れてはいませんでしたわ ゲイリブの進んだアメリカでさえLGBTの考えが生まれたのは70年代ですから無理もないことですが |