戦争経験者のお話を聞 - 軍@ふたば保管庫

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戦争経験者のお話を聞いてみたい。
実際の戦いの様子をはじめ、当時の日本の様子や軍隊での生活まで何でもお聞きしたい。

幸か不幸か、自分の親族には戦時中の記憶がある人で存命の人はおらず、身内から聞くことはできず。
時代の流れで、当時を知る人から直接聞ける機会はどんどん少なくなるでしょうから、今のうちに少しでもたくさん聞いておきたいと思います。
どうするのが良いのでしょうか?削除された記事が1件あります.見る

  でももう、戦争体験者って言っても日本の場合もうほとんど生き残っていないだろう

幼少期に空襲を受けて逃げ回ったってのを戦争体験のうちに入れるのならまだセーフなんだろうが、それって戦争体験って言えるのかな?
地震とか災害体験の類であって戦争体験とは違うよね

  沖縄戦を民間人として経験した語り部の人の話を聞いたことはあるけど
あれは何か違う…当時の記憶の真偽は分からないが、戦後にその人が抱いたであろう思想が入りすぎてて、素直に聞けるものではなかった。

  本当は軍の参謀・指揮官の佐官クラスがいいんだろうけどね。

責任は司令官より小さく、軍の下からある程度上まで知っている。

でも、そういう人ってあまりしゃべらない。

  戦争体験者だって戦争後の何年も生きて人生経験を経るからな
語られる戦争経験談に戦争後の人生経験が加味されるのは当然な事だ

  聞いてみたい、だからちとスレチかもしれんが
海軍反省会っていう一連の証言録があるな

  老人ホームとか介護施設で働く人はそういう話を
断片的ながらたくさん知ってそうだね
軍ヲタ介護士でそういうの豆に記録してる人とかいそうだ

  >地震とか災害体験の類であって戦争体験とは違うよね
そうか?

  そうでね?
被害者が加害国に対して屍骸を受けたから賠償しろって動きもないし
かといって爆撃した相手に対して反撃したわけでもなし

  まあ大多数にとって戦争体験なんて厄災・災害のたぐいだよね
むしろ上の人が「軍事的視点からのー」と但し書きつけたほうがいろいろと話が捗るかと

  戦争経験者つーともう100近いよな。
そのぐらいの爺さん婆さんと話せばわかるけど、
記憶は割としっかりした人でも
あちこちこんがらかったり混ざってたり勘違いだったりでかなり怪しくなってる。
もう体験談は厳しいのでは。

  戦争を体験したならそれが幼少時の空襲の記憶であっても戦争体験でしょう
スレが聞きたいのはようするに従軍体験だよね

  書き込みをした人によって削除されました

  従軍体験者と、戦争体験者、は分けて考えてくれ。

  何故このスレで閣下が降臨なされないのか
誰か町田にひとっ走り

  >戦争経験者つーともう100近いよな。

軍にかかわりそうな下限が15歳あたりとすると
1930年生まれ、現在83歳あたりが一番若いくらいかな?
90歳だと終戦時22歳くらいで充分に戦地に行ってそう

  回顧系の本を漁れるだけ漁りきってからなお本人の口からどうしても聞きたいです!
というならよく気持ちが分かるが読んだのかね

  広島上空でしでんかい乗ってて原爆投下を目撃した方と
赤城が撃沈されたので飛龍に降りたらタモン丸と幕僚が水杯交わしてたのを目撃した方が
両名とも2013年現在御存命というのが凄い
マジで簡単には死なないタフさ

  お客様で学徒(勤労奉仕?)で晴嵐の工場に行ってた人に話し聞いたことある。空襲の時に焼夷弾の除けかたとか自分とこに落ちてくるかの見極め方とか色々話してくれた。
その後お礼にチョコエッグで当たった晴嵐持ってたときにえらく喜ばれたことが思い出される…
三年前に亡くなられましたが…

  >空襲の時に焼夷弾の除けかたとか自分とこに落ちてくるかの見極め方
是非御教授をw

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>でも、そういう人ってあまりしゃべらない。
むかし話をした元海軍士官は兵学校時代の事や海とフネの話はよくしてくれたが戦争の話はしなかった(こちらからも聞けない)後に調べてみたら同期の2/3が戦死、本人は戦艦伊勢に乗組みあのレイテ沖海戦の体験者だったんだ…

  まあ、わしくらいの年齢であると戦争に行った方がたの知り合いも多かった。
叔父:海軍主計将校
実家の隣の爺さん:陸軍で満州
ダイヤモンド商会の社長:厚木で予科練
大学の一年後輩の父上:特攻隊崩れ
小学校の同級生の祖父:陸軍上がりで福音の時に火炎放射器を持ち帰り、近所にスズメバチの巣ができると焼いていた
等々
ほとんどの方々が鬼籍に入り、体験は風化していく。

  何年か前に大叔父の葬儀に(飛行機で)参列した
その時はじめて日中戦争で敵前上陸作戦や南京攻略戦に小隊長として
参戦していた事を知った
弔辞で大叔父の部下だった人が「南京虐殺などという憶えの無い汚名を着せられくやしい」
と涙ながらに語った
もちろんそれが真実とは限らないがそれでも
一次資料としてまた状況を鑑みて虚偽とは思えないという意味において
いわゆる「南京大虐殺」が真実であるのかどうかという
疑問に対する個人的な思いに大きな影響を受けた

  サバゲの場所を借りに地主へ挨拶に行った際、お話を伺ったことがある。
シベリア抑留経験者で「勉強はシベリアじゃなんの役にも立たなかった、何か一芸が出来ることが大切」としみじみ語られていた。

  142942 B
>陸軍上がりで福音の時に火炎放射器を持ち帰り、近所にスズメバチの巣ができると焼いていた
??

  163088 B
父方の親戚で戦車11連隊に所属して千島列島に駐屯していた方がいた、11戦車にいたと知ったのは亡くなった直後の遺品整理で写真が出てきてから、95式軽戦車に乗っていたみたい、第11戦車大隊の写真を今度仏前に供えようと思う


  >>??
それだけスズメバチが嫌いだったんだよ。
二回刺されると死ぬんだぞ

  回顧本の話が前の方でちょこっと出ているけれど、
激戦を体験された方は他界されていても手記を残していることが多い
ただそのほとんどが出版されないか、親族など限られた人にだけ配られる自費出版であったり
こういったものがただ散逸していくのは残念だね
また華々しい従軍体験でなく、勤労奉仕などをしたという戦争の体験も貴重な史料と思うのだけど…

  >>No.1049566
福音→復員

自分も最初は意味が分からなかった。

  >空襲の時に焼夷弾の除けかたとか自分とこに落ちてくるかの見極め方
落ちてくる爆弾が斜め上45度に見えたら自分のいる所に落ちてくるそうだ
ソースは父親が学生の頃、軍事教練の時に聞いた話

  平成25年ももう終わりかぁ・・・
と25年といふタイムスパンに思いをはせていたら
終戦から25年後に大阪万博を開催してたことに気がついてちょっとびっくりしてしまった

  >落ちてくる爆弾が斜め上45度に見えたら自分のいる所に落ちてくるそうだ
で天蓋からくわえタバコで三角定規と頭出して操舵手の肩蹴りながら被弾回避してた
雪風の寺内艦長

  大学の教授だった方(故人)に聞いた話
・京大在籍中に陸軍に学徒動員
・中国大陸を歩いて行軍中に終戦
・銃は支給されなかったとのこと
・士官昇進試験に受かったけど、終戦で任官出来なくて悔しがっていました
・復員したら東京は焼け野原、家も家族も失ったそうです
・研究の資料はあらかじめ疎開させておいたので、無事だったとか

  http://aimy.or.tv/book/top_page.html

これがなかなか面白かった。

  知り合いの社長は兵隊にとられて九州に回され
防空壕を掘っていたら終戦してた
とあっさり話して終わりだったなあ
ほんとはいろいろあったのかもしれんが

  個人ホームページに自分の体験を綴っている人はけっこう多いね。
探すのが大変だけどおもしろい。

  友人に精神科医がいるんだけど、90歳近いお爺さんの患者さんの場合、かなりな高確立で軍隊時代の話をしたがると言っていた
そこだけはボケないんだって
友人の父も海兵出なんだけど(故人)、自分は詳しくないから話を理解してあげられなく申し訳ないと言っていたので、軍隊の話を聞くコツをアドバイスした事がある
私は陸海ほぼ兵科網羅なので、聞き役として雇ってくれないかなと思ったw

スレ主は老人介護施設などで、話し相手ボランティアやるとかが良いかも知れない

  自分がガキだった頃70の爺さんといえばみんな大正生まれで
戦争経験者だったけど、今の爺さんはもう戦争知らないもんな
昔もっと話を聞いとけばよかった
一つ印象に残ってる話は、米軍相手に一発撃つとその何倍も
撃ち返されるから嫌だったってやつだな

   10年くらい前に、仕事で従軍経験者の体験談をまとめたことがある。楽しそうに語ってらっしゃいましたよ。
 「グラマンが横須賀に来てロケット弾をドババババッ」とかね(当時の米軍艦載機って、ロケット弾装備してたのかな)。
 一方、私の叔父も従軍経験者だが、黙して一言も語らず。